酒の造り手だって、そりゃ酒を飲む。誰よりもその酒のことを知り、我が子のように愛する醸造のプロ「杜氏」は、一体どのように呑んでいるのか?今回は岩手県花巻市にある川村酒造店を訪ねた。杜氏の川村直孝さんは、合理化よりも料理に合ううまい酒を造る。それもどんな温度帯でも抜群という酒は、東北の夏を代表する酒肴にピタリ寄り添う。
24歳で家業の日本酒蔵に入り、営業販売を担当
【川村直孝氏】
1962年、岩手県生まれ。24歳の時に、家業の日本酒蔵に入り、営業販売を担当。30代半ばで酒造りに目覚め、2000年に食中酒に特化した新銘柄「右衛門」を立ち上げた。以来、全量純米蔵として酒造りに取り組んでいる。
献立に合わせた1本を、1合ほど
「夕飯の献立に合う1本を右衛門のラインナップから選んで、1合ほど酌む」と杜氏は言った。
岩手県花巻市石鳥谷町で「酔右衛門(よえもん)」(※酔の字は本来、酉に与)を醸す川村酒造店の川村直孝さんだ。石鳥谷町は、夏場は米作り、冬場は全国各地で酒造りを担う杜氏集団の中でも、最大規模である南部杜氏の拠点だ。
一般的に南部杜氏が造る酒は華やかな香りが特徴的だ。川村酒造店でも先代までは南部杜氏が酒造りをリードしてきたが、蔵元杜氏として引き継いだ川村さんは、方針を一気に転換した。香りは要らない。丸みのある酸味が旨みをリードする。一緒に飲めば食べ物がおいしくなり、酒も食べ物と共に旨さを増す食中酒の追求だ。
「90年代に営業を担当しながら、蔵の存亡に危機感は持っていました。日本酒需要が減る中で、本当においしい酒を造らないと未来はないという直感はあった」
先代の父は味よりも効率化を優先する決断をした。1億円以上をかけて酒造工程を簡略化する設備を導入したのだ。川村さんは驚き、絶望したが、腹をくくって蔵元杜氏として引き継いだ。
「父に出した条件は新設備を使わないこと。蔵をつぶす気かと怒られたけど、こっちからすれば、あんたこそつぶす気か!ですよ(笑)。とにかく丁寧に造って、選んでもらえる酒にしなければ」
勉強のために全国の蔵を訪ね歩くと、旨みが豊かで熟成にも向く純米酒造りにかける人々に感化された。関西の飲食店では、燗酒とダシを合わせる飲み方に感動した。全量を純米造りに転換し、熱燗にしてもへこたれず、どんな温度帯でも深い味わいを楽しめる食中酒を目指した。
その晩、食卓には東北沿岸部の夏の味覚であるホヤの酢の物が登場した。
酒は、ホヤに合う酒全国トップ3に入ると自負する「夏ぎんが」に決まりだ。ホヤは甘み・塩味・酸味・苦味・旨みの五味が詰まった珍しい食材。強い磯の香りまである。口当たりは軽く、余韻にほのかな苦味を持つ「夏ぎんが」がホヤと響き合い、川村さんは「ああ、旨い」と唸った。
今年から始めた米作りで陽に焼けた顔は、少年のようだった。