SNSで最新情報をチェック

ツインカム24の登場で人気倍増

エンジンは2759cc、直6DOHC(170ps/24.0kgm)と1988cc、直6SOHC(125ps/17.5kgm)の2タイプは初代ソアラと同じだが、2代目セリカXXとほぼ同時期に初代ソアラに追加された2L、直6ターボが2代目セリカXXに追加されたのは1982年2月。性能面を考えれば2.8L、直6DOHCが欲しくなるところだが、自動車税が一気に高くなるという税金の関係で2L、直6SOHC、2L、直6ターボの人気が高かった。

前後期通じて全車直6エンジンを搭載。直4のセリカに対しての特別感もいい

そんな2L、直6エンジンだったが、ターボの追加から半年後の1982年8月に待望のDOHC化。搭載モデルは2000GTというグレード名が与えられた。マークII/チェイサー/クレスタに搭載して話題になった『TWINCAM24(ツインカム24)』の採用により人気がさらに高まった。

トランスミッションは2.8L、直6DOHCを搭載する2800GT、2L、直6SOHCを搭載する2000は5速MTと4速ATが組み合わされていた。一方追加された2L、直6SOHCターボ搭載モデルは4速ATのみ、2L、直6DOHCの2000GTは5速MTのみとモデルにより差別化されていた。

初代ソアラと並び2代目セリカXXには当時トヨタの持てる技術が投入された

ドアミラーは認可されず

2代目セリカXXを含むセリカシリーズについて特筆なのは、ドアミラーが認可されなかったことだろう。トヨタはセリカのフルモデルチェンジに際し、ドアミラーで登場させるべく開発を進めていた。北米、欧州とも最初からドアミラー仕様で販売されている。

実はセリカシリーズの1カ月前、1981年6月にデビューしたいすゞピアッツァは、ジウジアーロが欧州では当たり前になっていたドアミラーでデザイン。それを当時の運輸省(現国交省)に認可してもらうべく働きかけたがあえなく轟沈。いすゞの関係者はピアッツァのデビュー時に、「ドアミラーは人気されませんでした。ドアミラー第一号はトヨタさんのセリカシリーズになると思います。これが会社規模、政治力の差なんでしょうね」と恨み節。

スポーティな2代目セリカXXに不釣り合いなフェンダーミラー

しかしセリカシリーズもドアミラーは認可されず、フェンダーミラーで登場となった。これには当時のトヨタ首脳陣も想定外だった旨をマスコミに公表していた。

日本でドアミラーが解禁となったのは1983年で、日産パルサーエクサにドアミラー仕様が設定されたのが日本車ドアミラーの第一号だ。

2代目セリカXXは1983年8月に内外装をリフレッシュするマイナーチェンジを受けたが、その時にドアミラーが初採用された。ちなみにこのマイチェンで、前期モデルはリアハッチ部分がボディカラーに関係なくブラック塗装されていたが、ボディ同色に変更され評価は上々だった。

明らかにドアミラー仕様のほうがカッコいい。前期モデルは運輸省によってデザインが壊された!?

チャップマンが開発に関与

2代目のセリカXXといえば、当時を知る人にとって忘れられないのは、ロータスの総帥、アンソニー・コリン・ブルース・チャップマンの存在だろう。当時のF1界の鬼才であるチャップマンが2代目セリカXXの開発にも関与していると知って歓喜した人は少なくなかったはずだ。

トヨタがロータスに2T-Gエンジンを供給するなど、両社は協力関係にあったが、2代目セリカXXが登場した当時、トヨタはロータスの株式を取得するなど資本提携関係にあった。実際にトヨタがロータスを買収するという噂もあり、実際に水面下ではかなり具体的な動きもあったという。トヨタによるロータスの買収は実現しなかったが、トヨタは2代目セリカXXの開発者量をイギリスに送り、チャップマンが足回りのチェックをしたと言われている。

2代目セリカXXのカタログには『F-1(表記ママ)の神と呼ばれる男』というキャッチとともにチャップマンの顔入りで掲載。CM、広告のビジュアルとしてもチャップマンをフィーチャーし、そのスポーツ性、高性能を大々的にアピールしていた。

当時のカタログにはチャップマンの顔入りで高性能をアピール
次のページ
マンガで次期モデルを予言!?
icon-next-galary
icon-prev 1 2 3 4icon-next
関連記事
あなたにおすすめ

この記事のライター

市原 信幸
市原 信幸

市原 信幸

おとなの自動車保険

最新刊

全店実食調査でお届けするグルメ情報誌『おとなの週末』。2025年9月16日発売の10月号では、学生街…