今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第63回目に取り上げるのは1980年にデビューした4代目トヨタマークIIだ。
初代は1968年にデビューし2代目が大ヒット
カローラ対サニー、その上のコロナ対ブルーバードというかたちで激しく販売合戦を繰り広げていたトヨタと日産。トヨタはコロナ上級モデルとして市場に投入したのがコロナマークIIで、初代モデルは1968年に登場している。
そのコロナマークIIは2代目(1972~1976年)でユーザーに認知され、高級感とスポーティさが絶妙に融合した上級セダン&クーペとしての地位を確立していった。特にトップグレードのGSSはコロナなどよりも高価だったが、当時の若者は無理してでも買った。それほど魅力的に映ったということだ。
3代目で販売激減
しかし、3代目(1976~1980年)で販売を落としてしまう。約4年のモデルライフにおいて累計販売台数は20万台を割り込む約19万3000台。先代の2代目が累計約58万台のスマッシュヒットを飛ばしたのに対し、3代目は約3分の1となってしまった。この代でマークIIよりも若者向けに兄弟車のチェイサーをデビューさせたのだが、そのチェイサーが約10万台。つまりマークIIはチェイサーと合わせても半減ということでトヨタとしては一大事だったのだ。
今見ると丸目の個性的な顔もまとまっているように感じるし、特に2ドアハードトップはスポーティでリアにかけてのラインが美しい。しかし、当時は子ども心にもシャープで見るからにスポーティだった2代目に比べると3代目は精悍さがなくなってオヤジグルマになったように感じた。筆者の近所でも新型が出ると買い替えるという人が多かったが、マークIIに関しては、3代目を買わず2代目を乗り続けている人が多かったように思う。
一億総中流意識
マークIIに対し危機感を感じていたトヨタ。1960年代に池田勇人内閣で、「10年以内に国民所得を2倍にする」という所得倍増計画が閣議決定され、その後日本経済は大きく成長。その結果、確実に日本は豊かになり70年代に入ってからは、「自分は中流である」ことを謳歌する『一億総中流』日本では高級志向が高まり。一億総中流意識により、より豪華で贅沢を好むようになった。
クルマは趣味趣向が反映するだけでなく、当時の人たちは今以上にクルマにステイタス性を求めていた。カローラ、サニーよりはコロナ、ブルーバードを好み、さらに言えば、マークII、ローレル、スカイラインなどが人気となったのだ。
当時の『ベストカー』などのクルマ雑誌などを読み返してみると、70年代終わりになって、一億総中流意識から高級セダンを求める声が高まっていたという。