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今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第17回目に取り上げるのは、初代トヨプリウスだ。

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世界初の量産ハイブリッド

初代プリウスは1997年10月に、世界初の量産ハイブリッドカーとしてデビューを飾った。ハイブリッドとは「2つのものを掛け合わせる」という意味で、プリウスはガソリンエンジンとモーターという異なる2つの動力源をハイブリッドさせていた。

トヨタはプリウスを開発するに当たり、新開発の1.5L、直4アトキンソンサイクルエンジンを開発し、それにモーターを組み合わせたのだ。

東京モーターショー1995に出展されたプリウスコンセプト。このデザインで発売されなくてよかった

目標はガソリン車の2倍の燃費

1990年代初頭のバブル景気、そしてその崩壊。崩壊と同時に苦境を迎えたのではなく、余波を挟んで遅れて販売面に影響が出るようになった。NHKの報道をきっかけに注目を浴びたサイドインパクトバー問題により、ユーザーの関心が一気にクルマの衝突安全に向くようになったなど、1990年代はクルマ界にとって激動の時代だった。

さらに一般人はそれほどで関心を示していなかったが、排出ガス、燃費など環境問題が徐々にクローズアップされてきていた。

初代プリウスに課された命題は、既存のガソリン車の2倍の燃費とCO2半減というかなり高いハードルだったが、エンジニアはそれを見事実現させた

トヨタは古くからガスタービンエンジン、2サイクルエンジン、電気自動車(BEV)などを開発し、それをモーターショーなどで技術公開するなど、いろいろな方法で、環境問題に取り組んできた。1990年代中盤に、トヨタの上層部が掲げたのが、「既存のガソリンエンジン車の2倍の燃費とCO2を半減」というものだった。

燃費は10%向上させるのは至難の業なのに、100%アップ、さらにCO2半減という難題に挑むことになった。となると、燃料を食わず、CO2を排出しないモーターの助けは必然だったのだ。

上から目線で恐縮だが、実際にそれを実現したのだからお見事というしかない。

21世紀を意識したクルマ

「21世紀に間に合いました」、これは初代プリウスのキャッチコピーだ。さらに車両価格の215万円は、「21世紀へGO!!」を意味している。そもそもプリウスの開発計画の名称が「G21プロジェクト」だったように、数年後に訪れる21世紀を意識したクルマだった。

当時ほとんどの人が初めて迎える”世紀末”を前に、「21世紀といっても数年後。実際は何も変わらないだろう」と楽観視していたなか、21世紀のクルマの変化を最初に具現化したのが初代プリウスだったと言えるだろう。

ハイブリッドだけでなく、パッケージングなどにも21世紀の提案が盛り込まれた

21世紀より前にCOP3に間に合わせる

「21世紀に間に合いました」のプリウスだが、それよりもひと足先に達成すべき命題があった。それは1997年12月に京都市で開催された国連の気候変動枠組条約国第3回締結会議(COP3)に間に合わせることだった。

各国の代表が地球温暖化防止に向けて議論を続け、採択されたのが「京都議定書」という国際条約で、その時に日本政府も2008~2012年までに温室効果ガスの排出量を1990年比で6%削減する目標達成を義務付けられている。

開発エンジニアはプリウスのデビューに対し、「突貫作業の連続だった」と言っていたが、晴れてトヨタは初代プリウスを1997年10月に発表し、COP3開催に間に合った。

COP3に間に合わせたことも、トヨタの技術力を世界にアピールできた要因
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一般にはそれほどウケなかった!?...
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市原 信幸
市原 信幸

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