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今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第80回目に取り上げるのは1998年にデビューした三菱ランサーエボリューションVだ。

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三菱のWRC活動は5期存在

現在三菱のモータースポーツといえばアジアクロスカントリーラリー(AXCR)。2025年はピックアップのトライトンで総合優勝を飾った。10月30日から東京ビッグサイト(東京都江東区)にて開幕するジャパンモビリティショー(JMS)2025にはそのマシンが出展されるので来場した際にはお見逃しなく。

その三菱もかつてはWRC、ダカールラリーで世界を席巻。WRCに関しては、WRC初優勝を遂げた第1期(1967~1977年)、グループBの廃止など不運に見舞われた第2期(1981~1987年)、グループA時代の幕開けとなった第3期(1988~1992年)、そしてランサーエボリューションシリーズでWRCを席巻した第4期(1993~2001年)、WRC活動の終焉となった第5期(2002~2005年)の5つに分類できる。

今回紹介するランエボVは第4期を彩った一台だ。

AXCR2025で総合優勝した三菱トライトン

ランエボとインプがクルマ好きを熱くさせた

1992年9月にランエボが初登場。1994年12月にIIが登場したことでIと便宜上ナンバリングされることになるが、デビュー時には何もつかずランサーエボリューションだった。エボ1→エボII→エボIII(1995年)と立て続けに進化。それはWRCで勝つためだ。

当時はスバルもWRCに参戦していて、レガシィでワークス活動を開始した後、WRCで勝つことを念頭に開発されたインプレッサで参戦中。ランエボ対インプレッサWRX STi(当時はiが小文字表記だった)の開発合戦は世界のクルマ好きを熱くさせた。

1992年にランサーエボリューションが登場して三菱が大きく活気づいた

ランエボの第2世代が登場

そして1996年8月に4代目となるランエボIVが登場。エボI~エボIIIが4代目ランサーベースだったのに対し、エボIVは5代目ベースとなり、初めてフルモデルチェンジしたのだ。トピック満載のなか、最大の目玉はリアの左右輪の駆動力をリニアに変化させコーナリング性能を高めるAYC(アクティブ・ヨー・コントロール)の搭載だ。GSRに標準装備、競技ベースのRSにはオプション設定されていた。限定6000台だったが、3000台の追加販売を2回したため合計1万2000台のヒットモデルとなった。

くどいようだが、ランエボは当時のWRCで勝つために生まれたモデルで、WRCのホモロゲーションを取得するための競技ベースのコンペティションだ。1997年シーズンに三菱は新たなランエボIVでWRCに参戦したのだが、WRCが大きく変貌を遂げたのだ。

1996年にランエボIVが登場。5代目ランサーベースでフルモデルチェンジ。リアの左右輪の駆動力を独立で制御するAYCという飛び道具が与えられた
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WRカーに対抗するために開発されたランエボV
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市原 信幸
市原 信幸

市原 信幸

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