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今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第77回目に取り上げるのは1991年にデビューした初代トヨタウィンダムだ。

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レクサスの商標係争

トヨタは北米でトヨタブランドより上級なレクサスブランドを立ち上げ、1989年秋から販売開始すると発表。しかし、そのブランド名の『LEXUS』に対し思わぬ横やりが入った。アメリカのデータサービス会社の『ミード・データ・セントラル(以下MDC)』(オハイオ州)が商標登録している『LEXIS(レクシス)』を侵害すると訴訟問題に発展。第一審ではMDCの訴えが支持され、トヨタの商標侵害が認められる判決が出てさあ大変。トヨタは控訴するも大々的に展開するはずのLEXUSの名前が使えない!! とひと騒ぎになったが、1989年3月8日にニューヨーク連邦高裁は一審判決を破棄し、晴れてトヨタはLEXUSの名前を自由に使うことができるようになった。訴訟社会のアメリカらしいといえばそれまでだが、トヨタのレクサスに脅威を感じ邪魔しようとしたのでは、といううがった見方もあった。

レクサスを北米で展開する直前に商標係争というハプニング

ESはLSと同時に販売開始

商標係争の後、トヨタは予定どおり1989年8月にレクサスLS400を発売開始。日本では2カ月遅れの10月にセルシオの車名でデビュー。ちなみにLS登場前の北米のトヨタブランドのフラッグシップモデルはクレシーダ(日本名マークII)だった。クラウンはほぼほぼ日本専用のドメスティックカーで北米では販売されていなかった。

そのレクサスブランド立ち上げ時にLSだけでは心許ないと同時に用意されたのがESだった。このESはカムリの最上級グレードであるV6エンジンを搭載するプロミネントがベースとなっていた。LSが後輪駆動(FR)だったのに対しESは前輪駆動(FF)だった。

カムリプロミネントにレクサスのエンブレムを装着しただけという感じで初代ESは高級感はない

FF高級サルーンに本格参戦

ESのベースとなったカムリプロミネントは、トヨタのFF最上級モデルだったが、トヨタの高級車ヒエラルキーで言えばクラウン、マークII/チェイサー/クレスタよりも下という認識が一般的。それに5ナンバーサイズのFFということで、大衆車の上級版というイメージが強かったのがその理由だ。

FF高級サルーンの先鞭をつけたのは2代目キャデラックセビルで1980年に登場

FFの高級セダンの先鞭をつけたのは1980年登場の2代目キャデラックセビルで、日本では日産がブルーバードの高級版ブルーバードマキシマを1981年、ホンダがレジェンドを1985年に登場させている。その後、FFアッパーサルーン人気を牽引することとなる初代三菱ディアマンテが登場し、日本でもひとつのマーケットととして確立。

ライバルに対し出遅れ感は否めないが、トヨタが世界的な基準での高級FFサルーンを目指したのは2代目のESからとなる。

トヨタは2代目ES&ウィンダムでFF高級サルーンに本格参戦
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全幅1780mmは国際基準の証
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市原 信幸
市原 信幸

市原 信幸

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