今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第58回目に取り上げるのは1997年にデビューした初代トヨタハリアーだ。
SUVブームの先駆け
1997年のクルマ界のビッグニュースと言えば、初代トヨタプリウスにとどめを刺すが、そのプリウスと同じく1997年の東京モーターショーで初公開された初代ハリアーも重要なモデルだ。
初代プリウスが世界初の量産ハイブリッドカーとして世界に大きな影響を与えたのは周知の事実だが、初代ハリアーは乗用タイプ高級SUVの先鞭をつけたモデルとして登場。その後いろいろなメーカーから同じコンセプトのモデルが続々と登場し、現在まで続くSUVブームの源流となったモデルと言えば、その功績がわかるハズ。
日本メーカーは欧州のトレンドを取り入れ、それをうまくアレンジすることで魅力的なモデルに仕上げる、という手法が多いなか、世界的なブームを先取りしたレアケースだ。
ライトクロカンが大人気
1991年デビューの2代目三菱パジェロの登場が決定打となったクロカンブーム。ラダーフレームの屈強なオフロード4WDが飛ぶように売れたが、その一方でラダーフレームではなくモノコックボディにトランスファー(副変速機)なしの4WDを備えたライトクロカンが人気となった。その代表選手が初代トヨタRAV4と初代ホンダCR-Vで、クロカン風のボディながらスタイリッシュなデザインで若者から支持され販売を伸ばしていった。初代RAV4は、ナンパなデザインとは裏腹にしっかりとオフロード走行をこなすことができる4WD性能を持っていたが、初代CR-Vについて言えば、4WDは設定されてはいたが、ライトなものと割り切っていた。ライトクロカン、シティクロカンと呼ばれた所以でもある。CR-Vは言ってみれば、クロカン風のデザインが与えられた乗用車が欲しいという層にウケたのだ。それゆえ本来のクロカン派からは、曲がりなりにもクロカンを名乗るのにFFとは言語道断で、『なんちゃってクロカン』などと揶揄されたりもした。
日本でSUVという呼称が定着したのは初代ハリアーから
今では当たり前のように日常的に使っているSUVの発祥はアメリカ。Sport Utility Vehicle(スポーツ・ユーティリティ・ビークル)の頭文字をとったもので、という言葉を最初に使ったのは1974年デビューの初代ジープチェロキー(SJ型)と言われている。
しかし、トヨタハイラックスサーフや日産テラノなど北米でも販売していたピックアップ派生のクロカンをSUVと呼ぶことはあったが日本では長らくクロカンという言葉が主流でSUVという言葉は定着しなかった。
トヨタは初代ハリアーを登場させるにあたり、『高級クロスオーバーSUV』というフレーズを大々的にアピール。ハリアーの大人気によってSUVという言葉が浸透。初代ハリアーの登場が契機に日本でSUVという言葉が定着したと言っていいだろう。