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乗っているだけで品がある

トヨタ自らが新しい高級車を謳っていたとおり、静粛性についても申し分なし。その静粛性の高さから、当時のハリアーオーナーはオーディオにもこだわるなど、走りだけでなくクルマのプライベートの快適な移動空間を存分に堪能していた。

これは偏見かもしれないが、当時プリウスに乗っているだけで環境を考えているというイメージからクルマIQが高く感じられてものだが、それに対しハリアーは乗っているだけでどことなく品があるように思えたものだ。

駆動方式はFF(前輪駆動)と4WD(四輪駆動)を用意していたが、降雪地域やオフロードなどを趣味的に走る人を除き、メインとなっていたのはFFだ。裏を返せば、日常の使用ではFFで充分だった。

初代ハリアーは売れたので数は多かったが、街中で見てもいつも輝いていた

当時コスパナンバーワン

初代ハリアーはスマッシュヒットを飛ばしたわけだが、当然ながらクルマが魅力的だったのが最大の理由だ。『一億総中流意識』と言われた時代だけあって、トヨタはその中流意識をうまく刺激した。

そしてその魅力的だった初代ハリアーで衝撃的だったのがその価格設定。デビュー時の初代ハリアーの価格表を見ると、最廉価グレードの2.2Lの標準モデルが239万5000円で、最上級の3Lの4WDの3.0 FOUR Sパッケージで318万5000円。FFの3Lなら269万5000円で買えたのだ。当時でも買い得感の高さ、つまりコスパナンバーワンだった。

本革シートを一般に認知させたのは初代ハリアー

日本の経済力の低下を実感した1997年

初代ハリアーが登場した1997年といえば、バブル崩壊後から5~6年程度経過した頃。筆者自身は、正直なところバブルは崩壊したかもしれないが、それまでの間それほど景気が悪いなんて感じたことはほとんどなかった。しかし、山一證券、三洋証券、日産生命保険、北海道拓殖銀行が業務停止となるなど金融機関が相次いで破綻。野村證券、第一勧銀(現みずほ銀行)では総会屋への利益供与などによって大量の逮捕者が出るなど大混乱。これが自分の生活に及ぼした影響は皆無だったが、日本の経済力の低下によりヤバイ世の中になったと感じた頃だったように思う。

個人的にはそんなことよりも、1997年で印象に残っていることといえば『失楽園』かなぁ。映画はまだしも、TVであのきわどい内容を放映していたことが凄いと思う。今ではコンプライアンス云々と絶対に無理でしょう。

くらい時代だったからこそコスパ抜群だったのも初代ハリアーが売れた
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タキシードを着たライオン男...
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この記事のライター

市原 信幸
市原 信幸

市原 信幸

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