今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第59回目に取り上げるのは1988年にデビューした初代日産セフィーロだ。
1988年は日産のターニングポイント
日本の自動車メーカーのツートップであるトヨタ、日産は販売合戦を展開していたが1980年代の中盤、大きく差がついてしまった。その要因は多岐にわたるが、同一クラスでことごとくトヨタに惨敗。最も顕著だったのがハイソカーブームでマークII/チェイサー/クレスタの2Lクラスの小型上級セダンが大人気となっていたのに対し、日産は頼みの綱であるスカイライン(7代目)の低迷も大きかった。さらにはセドリック/グロリアの2台体制ながら、王者クラウンに対し苦戦を強いられていた。
その状況を打破したのが1987年の東京モーターショーで公開された後1988年1月にデビューを果たした初代シーマだ。日本に『シーマ現象』を巻き起こし、クラウンを擁するトヨタ陣営を慌てさせた。
連続スマッシュヒットで日産復活
初代シーマで勢いに乗る日産。1988年の第2の話題作がS13シルビア(5代目)で同年5月にデビュー。硬派路線で失敗したS12に対し、コンパクトながらエレガントなエクステリアデザイン+FR(後輪駆動)で若者を魅了し、デートカーブームでナンバーワン銘柄に君臨していたホンダプレリュードを駆逐した。シーマ、S13シルビアがスマッシュヒットとなったことで、元気な日産が復活。現在経営難により苦境に立つ日産だが、ヒットモデルさえ出ればまだまだ復活できることは過去の事例からも明らか。新車開発には時間がかかるが、今の日産に必要なのは売れるクルマだ。
1988年の日産の大物第3弾
イケイケ状態だった日産がシーマ、シルビアに続く1988年の大物第3弾として登場させたのがブランニューセダンの初代セフィーロで、同年9月にデビューを果たした。
「弊社はかつて小型上級クラスではローレル、スカイラインで圧倒的なシェアを誇っておりましたが、最近ではシェアが下がり、残念ながら劣勢を強いられております」、というのは当時セフィーロデビュー時の日産の久米豊社長のコメントだ。
久米社長の忸怩たる思いからわかるとおり、トヨタのマークII/チェイサー/クレスタの3兄弟に対抗するため、ローレル、スカイランとはキャラクターの違う小型上級セダンというコンセプトのもと生まれたのが初代セフィーロだったのだ。セフィーロという車名は、スペイン語で『そよ風』を意味している。
ちなみに1988年の日産は強烈で、セフィーロとほぼ同時期にプレーリー、マキシマを登場させ、セフィーロの3カ月後にはローレルまで新型まで発表している。ラインナップが脆弱となっている現在の日産と比べると驚かされる。