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太く短く時代を貫いた

身内に魅力的なモデルが出たことなども大きく影響し、正直なところ初代セフィーロの賞味期限はわずか1年といったところでかなり短い。バブル崩壊なども初代セフィーロの足を引っ張ることになったが、チャレンジングな日産、イケイケの日産の象徴的モデルとして記憶に残る一台であることは間違いない。

マイチェン後には特徴的なプロジェクターヘッドライトではないモデルを新設定。この顔が好きな人は一定数存在する

そのセフィーロは1994年にスカイライン、ローレルではなくマキシマとコンポーネントを共用するFFセダンとして生まれ変わった。駆動方式の変更以上にキャラクターが大きく変わったことで購入層は激変。つまりオヤジセダンとなってしまった。

初代セフィーロが生産終了後にMTモデルの中古車が人気となったが、FFでは2代目はまずまずの販売を残したが、3代目でセフィーロの車名は消滅してしまった。

3代目はブルーバードシルフィの親玉のようなデザインにって個性も失われ、2003年に消滅

【初代日産セフィーロスポーツクルージング主要諸元】
全長4690×全幅1695×全高1375mm
ホイールベース:2670mm
車両重量:1330kg
エンジン:1998cc、直6DOHCターボ
最高出力:205ps/6400rpm
最大トルク:27.0kgm/3200rpm
価格:251万2000円

オーテックバージョンは1990年に追加された

【豆知識】
『901運動』とは1990年までに技術世界一を目指すという日産のスローガンで、そのスローガンのもと登場したクルマの走りのポテンシャル高さは定評がある。1980年代に開発されたサファリ、パルサー、セドリック、グロリアなどから始まり、シーマ、S13シルビア、セフィーロ、ローレル、スカイライン、スカイラインGT-R、フェアレディZ、プリメーラなどなど、走りの楽しい日産車が登場したことで、他メーカーにも影響を与え日本車の走りの底上げにも大きく貢献。

ラグジュアリー性を追求したローレルも走らせれば気持ちよかった

市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。
写真/NISSAN、ベストカー

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市原 信幸
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