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画期的な試みもマイチェンで廃止

画期的なセフィーロ・コーディネーションが用意されていたが、日産では推奨モデルとしてそれがエンジン、サスペンションにキーワードを与えグレード展開。

エンジンのキーワードはSOHCがタウンライド、DOHCがツーリング、ターボがクルージング。一方サスペンションのキーワードはDUET‐SS装着車がコンフォート、ハイキャスⅡ装着車がスポーツとなっていた。例えばDOHCターボのHICAS-II仕様の場合は、スポーツクルージング、DOHCのDUET-SS仕様はコンフォートツーリングといった具合だ。

しかし、この画期的で意欲的だったセフィーロ・コーディネーションだが、オーダーすると納期が長くなるという弊害があった。それから特別にこだわりがない限り選ぶのが面倒というのもあり、残念ながら1990年のマイチェンで廃止となってしまった。

901運動によって誕生したモデルだけあって、走りのポテンシャルは高い

敵は身内にあり!?

さて、マークII 3兄弟の対抗馬として登場した初代セフィーロだったが、その成果はどうだったのか? 初年度は話題性、新鮮さもあり販売も上々だったが、大きな障壁が立ちはだかった。それはライバルのマークII 3兄弟ではなく身内だった。初代セフィーロの3か月後に登場したC33ローレル、1989年5月に登場したR32スカイラインのどちらも大人気モデルとなった。高級感を求めるユーザーはローレル、走り、スポーツ性を求めるユーザーはスカイラインにそれぞれ流れ、初代セフィーロは中途半端な存在になってしまった。初代セフィーロが狙っていたDINKs層がスカイラインに一気に流れてしまったのは日産としては誤算だったかもしれない。裏を返せば、それほどR32スカイラインの出来がよかったとも言えるのだが……。

R32スカイラインセダンは後席の狭さが指摘されていたが、それに勝る走りの魅力を持っていて大人気

マーケティング戦略で爪痕

初代セフィーロは、TV CMでも話題になった。画期的だったのは発売の数週間前から展開されたディーザー広告。今でこそティザーは当たり前になっているが、演出家の和田勉氏、文化人類学者の中沢新一氏などが登場していたセフィーロのティザーに、当時はどんなクルマが出てくるのかワクワクしたのを覚えている。

それから糸井重里氏考案の『くうねるあそぶ。』のキャッチコピーも秀逸。食う・寝る・遊ぶの3要素をくっつけただけなのだが、さすがは『くたばれ、J・プレス』で名をはせた天才だけある。ミュージシャンの井上陽水氏を抜擢して、助手席の窓が開き「みなさん、お元気ですか?」と問いかけた後、「失礼します」で終わるあのCMのインパクトたるや。

BGMとして流れる陽水氏の『今夜、私に』という曲の妖艶さ、陽水氏自身が醸し出す得体のしれない不気味感が絶妙にマッチしていた。

昭和天皇が体調を崩され、「みなさん、お元気ですか?」というフレーズはそぐわないという理由で陽水氏のセリフが消音されてそのまま放映されたのだが、消音されたものはそれはそれで話題性もあった。

高級感はローレル、スポーツ性はスカイラインとそれぞれ特化していたため、ユーザーには初代セフィーロが中途半端な存在に映った
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太く短く時代を貫いた...
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この記事のライター

市原 信幸
市原 信幸

市原 信幸

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