今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第64回目に取り上げるのは1996年にデビューしたホンダS-MXだ。
1990年代前半のホンダは波乱万丈
ホンダは1980年代から1990年代前半にかけての第2期F1活動において最強のエンジンに君臨してF1界を席巻。さらには1990年にフラッグシップスポーツのNSXを登場させたことで、ホンダのスポーツイメージは大きく高まっていた。レーシングスピリット=ホンダのDNAだから本来ならそれでいいのだが自動車メーカーはクルマを売ってこその世界。スポーツモデルだけでは限界がある。ましてNSXは800万円を超える高額2シータースポーツゆえに数が出るクルマではない。しかもバブル崩壊によってクルマを楽しむ、家族で出かけるための移動アイテムという側面がクローズアップされた結果、1991年登場の2代目三菱パジェロの人気などによりRVブームが勃発。RVとはレジャービークルまたはレクレーショナルビークルのことだが、レジャーを楽しむ、アウトドアを満喫できるクルマが一大ブームとなっていた。
時代の潮流に乗れなかったホンダ
スポーツイメージの高まっていたホンダだが、当時はRVに分類される車種を持っていなかった。当時流行したクロカンは、トラックをベースにしたものや、モノコックボディではなくフレーム構造のものが主流だったが、ホンダには軽トラはあっても小型・普通トラックはなかったし、RVでは一般的だったディーゼルエンジンもなかった。そんなこともあり、ホンダは時代から取り残された存在になっていた。
自社では早急にRVを開発できないため、いすゞからOEM供給を受けてビッグホーンをホライゾン、ミューをジャズとして販売。そのほかランドローバーディスカバリーをクロスロードとして販売したり、ジープチェロキーの右ハンドル仕様の販売にも着手してカバーしていたが、大きな成果は残せず。
クリエイティブムーバーが連続ヒット
それを打破したのがホンダの『クリエイティブムーバー』。クリエイティブムーバーについてホンダは『生活創造車』と定義。ホンダが提案した既存の乗用車用FFプラットフォームを使ったRVモデルで、1994年のオデッセイが第1弾。こちらはアコードのコンポーネントを使用した3列シートミニバンだ。
第2弾として登場したのが、1995年のシティクロカンとかライトクロカンと呼ばれたCR-V。今でいう乗用車ベースのSUVの先駆け的存在だ。
オデッセイ、CR-Vが立て続けにスマッシュヒットを飾ったことで、当時悪化していたホンダの財政事情は急速に回復していった。