タイヤ&ブレーキも大幅性能アップ
280psにパワーアップして登場したランエボIVの泣きどころのひとつにタイヤ、ブレーキのキャパシティ不足というのがあり、その点はランエボVでしっかりと改良。
タイヤサイズはGSRが225/45R17(交換が前提の競技ベース車のRSは205/60R15)、そして、17インチ仕様のブレーキはランエボシリーズで初めてブレンボ製を採用。フロント:17インチ4ポツトキャリパー、リア:16インチ2ポツトキャリバーとエボⅣから大きく容量アップされている。パッドは同じくイタリアのガルファ製。ちなみにランエボVのブレンボはイタリア製だったが、それ以降は国産のOEMとなった。
なお、GSRにはAYC+フロントヘリカルLSDを採用し、4輪の駆動力配分の最適化が施され、旋回能力がさらに向上。
ランエボVは1770mmのワイドボディ、17インチタイヤの採用やブレーキの容量アップを実現しながらもアルミ製部品などを多用することで軽量化も果たしているのが特筆ポイントで、競技用のRSには薄板ボディも採用していた。実際に走らせると想像を超えた凄さだった。
圧巻の動力性能
筆者が在籍していた自動車雑誌の『ベストカー』は、当時の編集長が無類のラリー好きだったこともあり、ランエボ、インプレッサの露出が他誌に比べて圧倒的に多かった。デビューすれば大ページを割いての紹介、次は公道試乗、そして谷田部での動力性能テスト、さらにはライバル対決ロケなどなど盛りだくさん。ランエボVもデビュー直後に谷田部のテストコースに持ち込みフルテスト。
そこでマークしたのが、最高速247.3km/h、0-400m加速(ゼロヨン)12秒76という絶句レベルのポテンシャルだった。最高速は180km/hでリミッターが作動するため、合法的にリミッターを解除して測定。筆者もテスト現場に同行していて、200km/hを超えると轟音に加えてキーンという高周波音も混じるのだが、それを生で聞き震えた。
実はゼロヨンは軽量なランエボ1~IIIですでに12秒台をたたき出していたが、ランエボVの12秒76は日産スカイライン4ドアGT-Rの12秒66に肉薄していた。
念願のWタイトル獲得!!
肝心のWRCでどうだったのか。WRカー初年度となる1997年シーズンはランエボIVでWRカー相手にエースのトミ・マキネンがランエボIVを駆り1996年に続きドライバーズチャンピオンに輝いた。それを受け1998年にランエボVが実戦投入された。
1997年まで三菱はドライバーズチャンピオンを獲得しながらマニュファクチャーラーズタイトルを獲得できなかったのは、フルに2台で参戦していなかったから。1998年に三菱は本気でマニュファクチャーのタイトル獲得のためにフルに2台で参戦を開始。マキネンとリチャード・バーンズが活躍して14戦中7戦で優勝(勝率5割)して宣言どおり初のマニュファクチャーラーズタイトルを獲得。
一方ドライバーズタイトルはこの年の最終戦のRACラリー(イギリス)でアクシデントによりポイントトップのマキネンがリタイア。変わってトップに立ったポイント2位のカルロス・サインツ(トヨタ)で、優勝すれば逆転チャンピオンという場面。誰もがサインツの逆転チャンピオンを確信したその時、無情にもフィニッシュ直前でエンジンブロー!! これでリタイアとなり、マキネンの3連覇が決まるという劇的な幕切れだった。その結果1998年はWタイトルを獲得という三菱にとって最高のシーズンとなった。それゆえ、ランエボVをシリーズ最高であると称賛する意見は多い。






