一般にはそれほどウケなかった!?
初代プリウスの車両価格は215万円。当時まったく未知のハイブリッドカーとしてはバーゲンプライスと言われたが、同じクラスのカローラの約70万円高ということで、一般ユーザーからすれば「車格のわりに高い」だった。
さらに燃費性能を向上させるために空力ボディを採用していたが、個性的ではあるが、カッコいいか、美しいかと言われるとノーという微妙なデザインだった。
そんなこともあり、初代プリウスはチャレンジングなクルマだったが、一般から受け入れられたわけではなかった。
意識高い系から支持
世の中にはある一定数、新しい物好きがいる。クルマに限らず、最新のもの、画期的なものを手に入れようとする人たちだ。私なんぞその欠片もない保守的な人間だが、新しい物好きにとっては初代プリウスほどマッチするクルマはなかった。
当時は、「初代プリウスに乗っているだけで人間としての偏差値が上がる」、と言われていたのも懐かしい。そんなこともあり、クルマのプロと言われる自動車評論家も新型プリウスをこぞって購入していた。
ハリウッドスターが育てた!?
初代プリウスに関してはアメリカのほうがイメージ戦略として上手かった。有名なのは2003年のアカデミー賞の授賞式だ。この式典には来場者がどんなクルマで登場するのかが話題になるが、レオナルド・ディカプリオ、キャメロン・ディアス、ジュリア・ロバーツ、トム・ハンクスが初代プリウスで来場。
これは、グローバルグリーンUSAという環境保護団体が仕掛けたもので、俳優たちに初代プリウスをレンタルして乗ってもらうということだったようだ。
俳優たちは環境のことを考えていることをアピールでき、プリウスは環境に優しいクルマというイメージアップさせられるという両者ウィンウィンの戦略だった。これにより北米でプリウス=環境に優しいというイメージが強調され、販売を伸ばしたことを考えると、ハリウッドスターがプリウスを育てたと言っていいかもしれない。
プリウスよりも刺激的なものを求めた
プリウスがデビューした1997年と言えば、プリウスが燃費、環境性能を追求していたのとは対照的に、バブル崩壊後に沈静化していた高性能追求が再燃していた頃。
三菱ランエボV、スバルインプレッサWRX STI Ver.4、日産スカイライン4ドアGT-R、日産ステージア260RS、マツダロードスター、トヨタセリカのほかマイチェン組ではホンダインテグラタイプR、トヨタMR2などなどものすごい勢いでデビューしていた。
特にこの頃はランエボ対インプレッサの因縁の対決が激化してヒートアップしてクルマ好きは胸アツだった。
正直、そんな人たちにとって、初代プリウスは、当時の表現を使えばアウト・オブ・眼中だったのだ。
初代プリウスを社用車に導入
私にとって初代プリウスはとても身近な存在だった。それは自動車雑誌『ベストカー』の社用車として初代プリウスが導入されたからだ。納車は1997年12月といういわゆる一番納車だ。ボディカラーはデビュー時のイメージカラーだったメタリックグリーンで、モッコリとしたデザインとマッチしていた。
この初代プリウスは、街中の移動、取材のアシとして大車輪の活躍。話題のクルマということもあって、デビュー当初は『プリウス日記』という不定期連載まで組まれて、日常使い、遠出などの燃費を読者諸兄にお届けしていた。
弊社の社用車は、とにかく過酷の条件下にさらされるのは有名だ。幾多のクルマが酷使されてきた。テストに駆り出されたり、長距離の高速移動も日常茶飯事で、年間3万km走行も当たり前。
初代プリウスも酷使されながら、2017年に廃車となるまで30万km以上を走破した。この間に3回は駆動用バッテリー交換したと思う。
初代プリウスは遅かった
私が初めて初代プリウスを運転したのは、当然ながら社用車で、トータルで言えば3万kmは乗ったのではないだろうか。初めて乗った印象は「遅い!!」。今でこそクルマは速さじゃない、という感覚が身に着いたが、当時は速いことが正義というよりも、速くて当たり前だった。
そんな状況ゆえ、クルマ好きの間では前述のとおり話題にもならなかった。私なんてあまり興味がないくせに、燃費がいいと絶賛されているプリウスに敵対心を抱き、乗っている人を見ると、『偽善者』とまで言い放っていた(←反省)。
ただ、生まれて初めて経験したモーター走行、アイドリングストップには感激。
それからセールスポイントの燃費。街中では13~14km/L、高速道路とトータルでは20km/Lをコンスタントにマーク。燃費はドライバーによって大きく変わるというのが一般的だが、初代プリウスは人を選ばず高燃費をマークできたのが特筆だった。