今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第78回目に取り上げるのは1981年にデビューした2代目トヨタセリカXXだ。
“早苗スープラ”に脚光が集まる
2025年10月4日に自由民主党の総裁選挙が行われ、小泉進次郎農林水産大臣との決選投票を制した高市早苗氏が21代の自民党総裁に選出された。この原稿を書いている時点では決まっていないが、臨時国会(15日に召集予定)で、第104代内閣総理大臣に選出されるとみられている。実現すれば、日本で初の女性総理大臣となる。
その高市氏が総裁選で勝利してクローズアップされたのは”早苗スープラ”。高市氏はクルマ好きの政治家として有名で、日本での初代スープラ(A70型)を22年も愛車として乗っていた。自動車雑誌『ベストカー』でも何度か取り上げているが、2022年に奈良トヨタが運営する『まほろばミュージアム』(奈良県奈良市)の手によって完全レストアされ展示されている。総裁選勝利後には『早苗スープラ詣で』に来館者が激増しているという。
北米ではスープラとして販売
今回紹介する2代目セリカXXは、早苗スープラの前身モデル。セリカXXは日本初のスペシャルティカーであるセリカシリーズの上級モデルとして初代(A40/A50型)が1978年にデビュー。その時に問題になったのが車名。セリカは日本だけでなく、世界70カ国で販売されていて、北米は最大のマーケットでもあった。
車名のXXは未知数を示すXをふたつ重ねて無限の可能性を車名に込めていたが、アメリカではXの連記(XX、XXXなど)は成人映画の指定度合いを示すため、XXの車名が使えず至高を意味する『SUPURA(スープラ)』として販売された。セリカXXは日本用の車名なのだ。
不評のセリカと絶賛された2代目XX
2代目セリカXXは1981年7月にデビュー。セリカクーペ、リフトバックと同時に発表・発売となった。当時は大々的に発表会が開催され、多くの自動車ジャーナリスト、マスコミ関係者が詰めかけたようだ。当時中学3年生だった筆者は、その発表会の盛り上がりをクルマ雑誌で見て胸を膨らませていた。
ネットがあるわけでもなく、テレビ、新聞、雑誌の順に出てくる情報に一喜一憂。今オールドメディアと揶揄されているメディアへの信頼度は激高、いやそれしかなかったのだ。
その発表会で真っ先に話題になっていたのがセリカシリーズのエクステリアデザインだ。
セリカXX、セリカクーペ&リフトバックともにリトラクタブルヘッドライトを初採用。セリカXXが王道的なリトラクタブルヘッドライトだったのに対し、クーペ&リフトバックはライズアップ・ライトと呼ばれる特殊タイプを採用。同じリトラクタブルでも好対照のデザインを与えたトヨタも凄いが、発表された時点で「セリカクーペ&リフトバックの顔はカッコ悪い」と感じた人が多数を占めた(もちろん筆者も同意見)。
そんなこともありセリカXXの美しさが余計強調される形となった。