新参クレスタが先陣を切って登場
その高級セダンのニーズの高まりに合わせて1980年に登場したのが4代目コロナマークIIだ。もちろん先代から引き続き、兄弟車のチェイサーも同時に10月にデビュー。しかし、その後マークII 3兄弟を形成することになるブランニューセダンのクレスタがひと足先に同年4月にデビューを飾った。新参者を先にデビューさせて本命が後から登場となったのだが、これは1980年4月にビスタ店が新たに開業し、クレスタはビスタ店扱い車種のフラッグシップゆえ開業に合わせてデビューしたのだ。
しかし、大本命であるマークII、チェイサーは同じコンポーネントを使いながらも半年遅れとなったのは、ブランニューのクレスタに注目を集めるため、そのクレスタで市場の動向を見ようというトヨタの戦略だと思われる。
4代目は4ドアのみで登場
晴れて1980年10月にマークII 3兄弟が晴れて形成されるわけだが、マークII、チェイサーともに3代目までラインナップしていた2ドアハードトップが消滅し、4ドアセダンと4ドアハードトップというラインナップとなった。それに対してクレスタは4ドアハードトップのみ。クレスタがハードトップのみで登場したことからもわかるとおり、マークIIもセダンよりもハードトップが推しだった。ただし、なぜか前期型モデルのカタログはセダンがメインとなっていた。
この4ドアハードトップというのは日本独自のもので、徳大寺有恒御大は大嫌いで酷評していたものだ。窓枠がないサッシュレスドアで、センターピラーの有無によりピラードハードトップ(ピラーあり)とピラーレスハードトップ(ピラーなし)の2タイプが存在していた。日産はセドリック/グロリア、510ブルーバードなどピラーレスを好んで採用していたが、トヨタは5代目クラウンでトヨタ初の4ドアハードトップを設定して以来、ピラードハードトップに執心。ちなみにトヨタが初めてピラーレスハードトップを採用したのは1985年登場のカリーナEDだ。
コンセプトは3兄弟で差別化
4ドアのみとなったマークII 3兄弟は、エンジン、プラットフォームなどの基本コンポーネントは共用し、3車に共通しているのは『上級小型乗用車』というもの。今となっては『高級小型乗用車』なんて表現は失笑を買いそうな表現だが、前述のとおり一億総中流意識だったゆえ、ユーザーに憧れを抱かせ支持された。
それぞれのコンセプトはマークIIが『落ち着きと拡張』、『チェイサーが個性と若々しさ』、クレスタが『新しい時代感覚を持つ高級パーソナルカー』というもので、エクステリアデザインでそれぞれが差別化されていた。