ツインカム24登場
そしてマークII 3兄弟にはセリカXXと同時に2L、直6DOHCエンジン(1G-GEU型)が新搭載された。1気筒当たり4バルブ(吸気2、排気2)の24バルブということでトヨタは『TWINCAM24』(ツインカムニジュウヨンを読む)と命名し、フロントグリル、ボディサイドのブラックモール、リアにエンブレムを装着し、ツインカム24は一大ブームを巻き起こし、憧れの存在となったのだ。
スペックも最高出力160ps、最大トルク18.5kgmという当時の最高レベルに仕上げられ、直6特有のスムーズな回転フィールは極上。5MTも用意されていたが、当時のトヨタのATは出来が素晴らしく4速ATが大人気だった。
故長嶋茂雄氏をCMに抜擢
マイチェン後のマークIIでは、故長嶋茂雄氏をCMキャラクターに抜擢したのでも有名。説明の前に長嶋氏のご冥福を心からお祈りいたします。
長嶋氏は1980年シーズンでプロ野球の読売巨人軍の監督を退き、マークIIのマイチェンのあった1982年は「2勉中」(監督浪人2年目の意味:御本人談)だったが、日本の国民的英雄をTV CMに起用したことは当時かなり話題になった。いまだ監督復帰を願う長嶋コールが巻き起こっていたなかでの登場はインパクト抜群だった。
筆者の記憶が間違っていればご指摘いただきたいが、長嶋氏がクルマのTV CMに登場したのはこれが最初で最後だと思う。長嶋氏はマイチェン後のマークIIのみのキャラクター起用で、5代目からは9代目松本幸四郎氏(現2代目松本白鸚)が務めた。
ハイソカーブームの礎
マークIIはビッグマイチェンが奏功して販売が激伸び。マイチェン後もクレスタは人気をキープして、マークII、クレスタが2巨頭に君臨。スーパーホワイトのボディカラーが大人気となり、この2車のヒットがその後勃発するハイソカーブームの先駆けとなった。
しかし裏を返せば、1982年のマイチェンが成功していなかったら、白い4ドアハートドットがあそこまで人気となるムーブメントにはなっていなかったかもしれない。いかに人気と言えども、クレスタ単品では力不足だったはずだ。
4代目マークIIはまさにマイチェンで生まれ変わり、その後の成功の礎となった記念すべきモデルと言えるかもしれない。
【4代目トヨタマークII 4ドアハードトップ2800グランデ(4AT)主要諸元】
全長4640×全幅1690×全高1395mm
ホイールベース:2645mm
車両重量:1260kg
エンジン:1995cc、V6DOHC
最高出力:145ps/5000rpm
最大トルク:23.5kgm/4000rpm
価格:214万5000円
【豆知識】
1G-GEUエンジンは、セリカXX、マークII、チェイサー、クレスタに搭載された後に初代ソアラにも搭載された。DOHC化にはヘッドデザインなどをヤマハが担当。直列4気筒の3S-GEなども同様にトヨタのG系ヘッド=ヤマハなのだ。直列6気筒DOHCは、その回転フィールのスムーズが大きな魅力。日本で直6エンジンはトヨタと日産しか市販化していない。海外ではBMWのシルキー6が有名。名前のとおり、絹のような滑らかな回転フィールが世界のクルマ好きを魅了している。
市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。
写真/TOYOTA