頓挫した関ケ原駅への延伸計画
1929(昭和4)年に工事へ着手したものの、用地買収に困難を極め一時工事中止となったこともあったが、1931(昭和6)年7月には、富田駅~東藤原駅間を開業させた。これに続き、同じ年の11月には東藤原駅~西藤原駅間を延伸開業した。この時に活躍した旅客輸送用の車両は、小型のガソリンカーだった。
開業前には、蒸気機関車(E101形)2両を新製したほか、小野田鉄道(→現JR西日本・小野田線)からも1両を譲り受けていた。いっぽう、蒸気機関車がけん引する貨車はというと、開業直前の6月に鉄道省(のちの国鉄→現JR)から譲り受けた。開業当時に活躍した蒸気機関車E101形102号は、三岐線が電化された年(1954/昭和29年)に廃車となり、大阪窯業セメント(現・住友大阪セメント)伊吹工場専用線へ売却され、同線で活躍したのち同工場で保存・展示されていた。その後、2001(平成13)年の三岐鉄道開業70年を機に里帰りし、現在は三岐線西藤原駅前SL公園で保存・展示されている。
免許を取得した際に許認可を受けた車両の動力種別は、蒸気、ガソリンのほか、将来を見越してか「電気」も併せて登記していた。1932(昭和7)年になると、その年の12月には小野田セメント(現・太平洋セメント)藤原工場が操業を開始し、翌1933(昭和8)年1月からセメントの出荷を開始した。
1935(昭和10)年には、先に取得していた鉄道免許のうち、本線の一部(四日市起点~1km100m区間)と常盤村~川島村間の工事施工期限が到来したことにより、免許取消→起業廃止となるなど、鉄道経営は順風満帆ではなかったようだ。1937(昭和12)年には、藤原~ 関ヶ原間の工事施工認可申請を更新・継続しなかったため、鉄道免許そのものが失効した。





