先の大戦中から戦後10年に至る鉄道車両史
先の大戦中となる1941(昭和16)年のこと、ガソリンは配給制となり、その確保がままならなくなった。そこで、少しでもガソリンの使用量を節約する対策として、小型のガソリンカー2両(4号と5号)を改造して、新たに瓦斯発生装置を取り付けることで、代用燃料となる木炭瓦斯とコーライト瓦斯を併用できるようにした。こうした施策は、鉄道車両のみならず乗合自動車にも「木炭バス」が登場するなど、国内は戦時体制へと突き進んでいった時代でもあった。
それだけではなく、ガソリンそのものを使用しない方策として小型の客車を他社から購入し、蒸気機関車に貨車と客車を連結した”混合列車”を走らせたりもした。この小型客車(ハフ10形)は、最終的に6両導入され、のちに旅客輸送が電車化されるまで活躍した。時には小型のガソリンカーと連結して2両で使用されることもあったという。1957(昭和32)年に”お役御免”となり、順次廃車され、再び他の鉄道へと嫁いでいった。そのうちの1両である1926(大正15)年製のハフ16は、で、神中鉄道(→のちの相模鉄道)から1950(昭和25)年に三岐鉄道へ婿入りした経歴を持つ。1959(昭和31)年まで活躍し、その後は兵庫県の南西部を走っていた別府〔べふ〕鉄道へ売却されたが、現在は古巣の相模鉄道へ里帰りしており、当時の姿に復元されて「かしわ台車両センター」で保存・展示されている。
戦後は、1949(昭和24)年に日本国有鉄道からキハ41000形41097とキハニ171(元・中国鉄道の国有化車両)を購入したほか、1952(昭和27)年には滋賀県の琵琶湖西岸を走っていた江若鉄道から蒸気機関車1両(C11型2号/前所有者は日燃)を購入し、同年12月には富田駅から国鉄四日市駅まで、旅客列車の直通運転を開始した。その2年後となる1954(昭和29)年3月には全線が電化され、貨物列車のけん引は蒸気機関車から電気機関車(ED45形)へとバトンが渡された。1956(昭和31)年12月になると、電車による旅客輸送もはじまり、国鉄から払い下げられた電車4両が活躍した。同年は、国鉄から電気機関車1両(ED22形2号)も譲り受けた。
三岐線の歴史は、近鉄富田駅への路線延伸など話は尽きない。全線電化以降の出来事は、またの機会に。



文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会特派写真記者。1970年、東京都生まれ。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物に関連した取材を重ねる。交通史、鉄道技術、歴史的建造物に造詣が深い。元・日本鉄道電気技術協会技術主幹、芝浦工業大学公開講座外部講師、日本写真家協会正会員、NPS会員、鉄道友の会会員。














