おとなの週末的クルマ考 【画像ギャラリー】後悔先に立たず!? なぜ初代ピアッツァの美しさに気が付かなかったのだろう #いすゞ#ジウジアーロ#セイコー#ソアラ#ニコンF3#ピアッツァ 記事に戻る いすゞ117クーペは1968~1981年まで販売されたいすゞのフラッグシップクーペで、デザインはジウジアーロが手掛けた。最初期モデルはハンドメイドで生産されていた1973年のフランクフルトショーで公開された Asso di Picche 1976年のトリノショーで公開された Asso di Quadri 本来は Asso di Fiori として発表される予定だったが、ヒュンダイポニークーペコンセプトとして発表されたジウジアーロ氏と 初代ピアッツァの原型のAsso di Fiori 赤ラインのニコンF3はカメラ好き少年の憧れの逸品だったドアミラーからフェンダーミラーに変更された以外はショーモデルに忠実に市販化1983年にドアミラーが認可されたのを受け原案に戻したかたち初代ピアッツァ今見ても美しく見事なプロポーションだが、当時はその丸みを帯びた形状からマヨネーズと呼ばれていた43年前にデビューしたクルマのインテリアとは思えないほど今見ても違和感がない初代ピアッツァのインテリアヤナセが販売していたピアッツァネロは、北米向けのインパルスの角4灯ヘッドライトによって精悍な顔に仕上げられている1980年代初頭は性能こそ命、というクルマ好きが多かったこともあり、特別ハイスペックでなかったのも苦戦した要因この美しさは1980年代に日本車でも図抜けている。しかしそれがユーザーへのアピールポイントとはならなかったこのままのデザインで復刻してもらいたいが、残念ながらいすゞは乗用車から撤退しているカッコよさ、高級感、高性能のすべてがわかりやすかった初代ソアラ1985年にはルーフを取り去ってオープンとしたコンバーチブルが公開されたが市販化はされなかったSEIKO×ジウジアーロのデジタルクロノグラフは各色3000本限定で復刻販売された。シリアルナンバー入りで、ネットオークションで人気が高い 記事に戻る 1980年代の日本車で一番美しかったピアッツァ 当時はその凄さが理解されなかった悲運のクルマ