鉄道の「廃線」を巡る 【画像ギャラリー】札幌と定山渓温泉を結んでいた東急傘下の鉄道「定山渓鉄道」 #北海道#鉄道 記事に戻る 1918(大正7)年ころに撮影された終点、定山渓駅。開業して間もないころであろうか=写真提供/定山渓郷土博物館1988年当時の東急グループのスローガンを掲げた「じょうてつグループ」の看板=1988(昭和63)年8月、札幌市豊平区東急傘下の東急車輛(現在の総合車両製作所)が製造した定山渓鉄道としては最後の新型電車であった=写真提供/定山渓郷土博物館路線廃止の時に走った「さよなら電車」=写真提供/定山渓郷土博物館じょうてつ本社として使用されていたころの豊平駅の駅舎(2代目)=1988(昭和63)年8月、札幌市豊平区撮影当時はまだ、豊平駅の駅舎とともにプラットホーム跡が残されていた=1988(昭和63)年8月、札幌市豊平区豊平駅のプラットホーム跡から見た光景。廃線から既に18年が経っていた=1988(昭和63)年8月、札幌市豊平区草木に埋もれる一の沢橋梁の橋台跡。終点の定山渓駅の手前4.2kmの地点に存在する=1988(昭和63)年8月、札幌市南区定山渓駅跡地は、定山渓スポーツ公園として活用されている=1988(昭和63)年8月保存される「小金湯駅」の木製駅名標=1988(昭和63)年8月、定山渓郷土博物館当時を知る貴重な資料として保存されるホーロー製の駅名標=1988(昭和63)年8月、定山渓郷土博物館 記事に戻る 北海道のローカル私鉄「定山渓鉄道」は何故廃線になったのか 頓挫した「札幌急行鉄道」構想