鉄道の「廃線」を巡る 戦後GHQに接収された京急空港線 はじまりは“穴守稲荷神社”への「参詣電車」だった #京急蒲田#神社#羽田空港#鉄道 記事に戻る 「羽田駅(現・天空橋駅)開業」を記念して運行された祝賀電車。京浜急行電鉄・大森海岸駅で=1993年4月1日、品川区南大井京浜電気鉄道の穴守線が開業した当時の「穴守駅」の場所を示した古地図。線形が「輪」を描いているのは、折り返しの手間をはぶくため、終端部をループ線にして電車を折り返していたから=資料/国土地理院旧版地図より羽田空港の地(鈴木新田)にあったころの「穴守稲荷神社」の社殿=所蔵/JLNA(当時の絵葉書より)羽田海水浴場の開業(開場)を知らせる「マッチ広告」=資料/市川健三コレクション社前町へ移転したころの京浜電気鉄道の穴守駅=1916(大正5)年頃、所蔵/JLNA京浜電気鉄道(のちの京浜急行電鉄)が」制作した羽田海水浴場を宣伝したポスター。東京飛行場(羽田飛行場)との位置関係がわかる=資料/市川健三コレクション羽田(鈴木新田)にあった競馬場をとらえた当時の空撮写真。奥を流れる河川は多摩川=撮影年次不詳、所蔵/JLNA〔当時の絵葉書より〕 戦前~戦後を走り抜いた230形電車(元・湘南電気鉄道デ18→デハ5248(東急合併時代)→京急デハ248→現デ1形復元車)=1955(昭和30)年8月、横須賀市浦賀、写真/宮田道一コレクションかつての羽田空港ターミナル内の駐車場に残されていた、鈴木新田(羽田穴守町)に鎮座していた穴守稲荷神社の一の鳥居。この付近には京急穴守線の終点、穴守駅があったとされる=1965(昭和40)年代、所蔵/JLNA初代の羽田空港駅。かつてはここから羽田空港の敷地内(鈴木新田/羽田穴守町)へと線路が伸びていた=1976年1月3日、大田区羽田で、所蔵/JLNA地下線工事中に限り運転していた「蒲田駅~穴守稲荷駅間」の折り返し電車。地上時代の京急蒲田駅で=1995年3月、大田区蒲田羽田駅(現・天空橋駅)開業を記念した祝賀電車。京急蒲田駅で=1993年4月1日、大田区蒲田穴守稲荷駅に隣接する踏切。この駅の周辺と糀谷駅~大鳥居駅間には、地上を走る電車の姿を見ることができる=2025年7月13日、大田区羽田京急・空港線で唯一の地上駅となった「穴守稲荷駅」=2025年7月13日、大田区羽田 穴守稲荷駅の羽田空港寄りには、「羽田隧道」と呼ばれる天空橋駅へとつながる長さ829mの地下トンネルの入口が見える=2025年7月13日、大田区羽田フェンスに囲まれたままの状態で遺される旧空港線の線路用地=2025年7月13日、大田区羽田旧・羽田空港駅跡地は、コインパーキングとして生まれ変わっていた。そのすみに建てられた「天空橋駅→」の看板は、ここに“羽田空港駅”があった何よりの証拠=2025年7月13日、大田区羽田 記事に戻る 戦後GHQに接収された京急・空港線 “穴守稲荷神社”への「参詣電車」がはじまりだった