1944(昭和19)年に東京急行電鉄(大東急当時)から運通省(当時の運輸通信省)あてに提出された「逗子線工事方法変更認可申請書」=資料/国立公文書館蔵
横浜市金沢区の車両メーカーからJR逗子駅(神奈川県逗子市)へと至る鉄道線路略図=資料/国立公文書館蔵
戦災復旧車第1号となった東急湘南線(現・京急電鉄)クハ5350形。東京急行電鉄50年史〔1972年刊〕より=資料所蔵筆者
昭和30年代の東急車輛製造横浜工場のようす。東京急行電鉄50年史〔1972年刊〕より=資料所蔵筆者
東急車輛製造・本社車両工場の全景。同社パンフレット〔1981年〕より=資料所蔵筆者
1948(昭和23)年に東京急行電鉄(大東急当時)から運輸大臣あてに提出された「逗子線工事方法変更認可申請書」=資料/国立公文書館蔵
1948(昭和23)年7月に、東急横浜製作所と京浜急行電鉄との間で結ばれた「東急横浜製作所に発着する車両の京浜急行電鉄線金沢八景駅神武寺駅間乗り入れに関する協定書」=資料/国立公文書館蔵
京急本線と車両メーカー専用鉄道との位置関係。現地掲出される案内地図より=2026年5月13日、横浜市金沢区
京急本線から分岐した構内側線から、さらに分岐し車両メーカーへと伸びる側線。2026年5月13日、横浜市金沢区
旧海軍航空技術廠支廠の跡地に建つ総合車両製作所横浜事業所(旧・東急車輛製造)=2026年5月13日、横浜市金沢区
車両メーカーの正門側から金沢八景駅方向を見た三線軌条の専用線=2026年5月13日、横浜市金沢区
専用鉄道の敷地内に設けられていた電気設備と「デッドセクション」=2026年5月13日、横浜市金沢区
車両メーカーの専用鉄道は、京急本線沿いの道路を渡り金沢八景駅の側線へと合流する=2026年5月13日、横浜市金沢区
京急逗子線の六浦駅。上り線側のみが「三線軌条」になっている=2026年5月13日、横浜市金沢区
京急逗子線六浦駅の前後に設置されている特殊なポイント(分岐器)。1067mm軌間のレール(線路内側のレール)が左右入れ替わるような仕組みになっている=2026年5月13日、横浜市金沢区
京急逗子線の神武寺駅手前で三線軌条区間は終わり、狭軌(1067mm)のレールだけが分岐して米軍施設内へと引き込まれる=2026年5月13日、逗子市池子
神武寺駅のすぐとなりには在日米軍施設(池子住宅地区)があり、引き込み線はその敷地内に京急逗子線と並行するように敷設される=2026年5月13日、逗子市池子
京急逗子線(右)とJR逗子駅へと至る引き込み線(左)が平行して設置される神武寺1号踏切=2026年5月13日、逗子市池子
神武寺第1踏切に設置されるJR貨物の施設標=2026年5月13日、逗子市池子
神武寺第1踏切からJR逗子駅方向を見る。JR貨物と車両メーカーの連名で、注意看板が設置されていた=2026年5月13日、逗子市池子
京急逗子線と並走するように設置されるJR逗子駅へと伸びる引き込み線。写真の奥が神武寺駅で、左に見える高層住宅は在日米軍施設=2003年7月24日、逗子市池子
神武寺駅に隣接する在日米軍施設からJR逗子駅へと至る引き込み線(側線)には、隧道(トンネル)が1か所ある=2026年5月13日、逗子市山の根
隧道(トンネル)には、「米国海軍管理区域」と書かれた注意看板が設置されていた=2026年5月13日、逗子市山の根
隧道(トンネル)を抜けると県道205号線を横断する=2026年5月13日、逗子市山の根
引き込み線(側線)は、JR横須賀線と並走しながら逗子駅へと進む=2026年5月13日、逗子市山の根
引き込み線を通りJR逗子駅へと回送される東急車輛製造(当時)で新造されたJR四国の電車「マリンライナー」=2003年7月24日、逗子市逗子