第一夜 前編「ドレーク海峡の夜」
潮を吹くクジラの群れに、崩れ落ちる氷河の轟音。ダイナミックな自然が残る南極大陸だが、そこにたどり着くまでには数えきれないほどの船を沈ませた「魔のドレーク海峡」の荒波が待ち受けている。
草木も眠る丑三つ時、南極船の船底の部屋で私が体験した恐ろしい夜の話を前編、後編に分けてお送りします。
南極大バーゲン!
ユーラシア大陸から中東、アフリカと旅を続けていた私は、日本出発から1年半後に南アフリカの都、ケープタウンにたどり着いた。そこから南米の最南端に近いアルゼンチンの街、ウシュアイアへ。
北半球の日本はちょうど冬であったが、南半球は夏の盛りである。なんとなく、「南の夏」という言葉のイメージから、緯度が高くても「北の夏」よりは暖かいのではないだろうかと私はのん気に考えていた。しかし、ウシュアイアの空港に降りた私を待っていたのは、南極からの凍るような風であった。
「夏のくせに寒すぎる」と、とぼとぼと分厚いマフラーを巻いて街を歩いていると、電信柱に何やら流氷に乗ったペンギンの絵が描かれたチラシが貼ってあるのが目に入った。目を凝らしてみると「アンタルティカ・スペシャルセール!」の文字……南極が大バーゲン!? 「服や靴みたいに南極もバーゲンするんだ……」と驚いた私は、そのチラシに書かれた旅行会社に行ってみることにした。
この町から南極行きの観光船が出ていることは知っていた。日本から行くツアーではひとり100万円くらいする。飛行機代を抜かしても高いことには変わりがないだろうから、中高年になっていつかお金持ちになったら行こうと私は考えていた(注:中年になったが、お金持ちにはなれていない)。しかし、バーゲンだといったいいくらなのだろう? ガラス戸の前に立つ私に気が付いた旅行会社のお兄さんが「ウエルカム!」と流暢な英語でドアを開けてくれた。
「いらっしゃい!」
「南極行きのチラシ見たんだけど……参考までに値段を教えて」
「ちょうどいいのがあるよ! 明日の出発なら安いよ!」
「え? 明日!?」
世界中から南極ツアーのお客を集めてはいるが、直前になっても船室が埋まらない場合、現地の旅行代理店が叩き売りしているらしい(今はあまりやっていないようです)。お兄さんは書類をペラペラとめくりながら、「これ!」と私に差し出した。
「南極8日間、窓付きの部屋でここからだと2000ドル(約20万円ちょっと)!」
「えっ、20万!? 本当にバーゲンなんだ……」
今なら80%オフ! 日本からの往復の飛行機代を差し引いてもかなり安い。しかし、いくら安いといっても、20万円は私にとっては大金だ。高価な買い物なら、じっくり考えたい。
「うーん、ふたり部屋じゃなくて、大部屋のもっと安い部屋はないの?」
「二段ベッドの4人部屋で窓なしもあるけど、8日間のうち上陸できるのは3日間だけだよ。5日間は移動だから窓があったほうがいいよ。せっかくなら流氷とかペンギン見たいでしょ?」
「そんなに遠いんだ。地図では南極、近そうなのに」
「日本よりも近いよ! 安いよ、安いよ、今が南極も旬だよ~、ペンギンだっていっぱいだよ~、とびきりいい船だよ~、さあ買った、買った!」
お兄さんはまるでバナナの叩き売りのように、南極を猛烈に売ってくる。明日、出発の便なのに、お客さんが埋まらなくて焦っているのかもしれない。最後の手段とばかりに、分厚い写真集を持ち出し、ペンギンやトドやクジラの写真を私に見せはじめた。
「これ、王様ペンギン!」
「でかい!」
「こっち、皇帝ペンギン!」
「超でかい! これも見られるの?」
「もちろん、いっぱいいるよ!」
結論から言えば、上陸しても王様ペンギンは1匹だけで、皇帝ペンギンに至っては影すら見えなかった。奥地にしかいないらしい。しかし、すっかり乗り気になった私は結局、行くことにした。
そして南極なんて一生に一回かもしれないから、そして景色も楽しもうと、奮発して窓付きの部屋に決め、銀行にお金を下ろしに行った。旅行会社に戻り、ドル紙幣を揃えて渡すと、お兄さんは満足そうにお金を数えて、「ボン・ボヤージ!(よい旅を!)」とにんまり笑った。
南極へと向かう船
翌日、宿で借りた長靴を手に港に向かった私は、お兄さんに教えられた「いい船」を探すと、5〜6階立ての大きな船が停泊しているのが見えた。乗船口には「アンタルティカ」行きと看板が出ている。想像していた真っ白で優雅な豪華客船とは全く違っていて、真っ黒で威圧感のある戦艦のような船であった。よく見れば、ボロボロであちこちペンキが剥がれてサビている。
アルゼンチンはスペイン語圏なのに、なぜかロシア語の文字が船体に書かれていた。後で聞いたら、北半球が夏の間、黒海を運行している客船とのこと。北半球のバカンスシーズンが終わると、夏の南半球に合わせて出稼ぎとしてはるばるやってきて、南極とウシュアイアを往復しているのだという。
私がチケットを見せると、係のお姉さんがどんどん下の階へと私を連れていく。不安になって「そんなに私の部屋は船底なの?」と聞くと、お姉さんは振り返って、「上階の高い部屋より景色は良くないけど、その分、揺れが少ないから、あなたラッキーです」と微妙な笑顔を作った。
船室のドアを開けると、先客がいて金髪の女性がゴロンとベッドに寝っ転がっていた。8日間、部屋をシェアするルームメイトだ。彼女は「ハーイ! 私はフランス人のドルファ。よろしくね」と立ち上がった。
私も自己紹介をしながら、「8日間、仲良くしようね」と握手をした。部屋の窓を見ると、期待していた大きな窓ではなく、作り付けの小さな丸窓であった。「えー!? これ?」と正直、がっかりはしたが、私は初めての南極に心浮かれ、窓の大きさには目をつむることにした。
だがまさか、この半日後に、ふたりしてこの丸窓をめぐって絶叫することになろうとは、まだこれっぽちも知らずにいたのだった。
椅子も机も吹っ飛ぶ
全員、乗客が乗り込むと、汽笛を鳴らしながら船がウシュアイア港から出航した。大西洋と太平洋をつなぐビーグル水道を静かに進んでいく。荒涼とした島々の断崖絶壁に、時々、カラフルな家が建っているのも見えた。確かに見かけはボロいけれど揺れもない。旅行会社のお兄さんが言っていた通り、いい船なのかもしれない。
私たちは船内を探索したり、甲板に出て夕焼けを眺めたり、食堂で世界中から参加した乗客と酒盛りをした後、船底の部屋に戻り、明日に備えて眠ることにした。ベッドに入ると、丸窓からは美しい星空が見えた。あれは南十字星だろうか。ああ、やっぱり、窓付きの部屋にしてよかった、と満足した私はいつの間にか寝入っていた。
どのくらい時間が過ぎたころだっただろうか。突然、ドン! というにぶい音と揺れに、私は思わず、「地震!」と寝ぼけて飛び起きた。が、よく考えれば船の上であった。風でも強くなったのかなあ、と時計を見ると、深夜1時を過ぎたところだった。もうちょっと寝ようと横になったが、じょじょに揺れが激しくなり、再び大きな揺れが起きて、バッターン! と船は、海水に叩きつけられた。その拍子に私は、床にドタン! と毛布ごと転げ落ちた。
「いでででで!」
「アヅサ、大丈夫!?」
「うん、二段ベッドの部屋でなくて良かった……」
ヨタヨタと起き上がるも、揺れはおさまるどころか、ますます激しくなる。窓の外には、真っ黒い海が広がり、窓にも水がかかる音がする。ついに部屋の椅子がバタンとひっくり返り、部屋の奥へとツー! と流れていく。あららら、、、と追いかけるも、今度はベッドの横に置いていた水筒が落ちてゴロゴロと床を転がっていく。さらに作り付けの机に置いた本や枕元に置いた目覚まし時計なども落っこちて音を立てた。船の上でなければ、ポルターガイストのようだ。あわてて、ドルファと荷物や椅子をベッドの足に紐でくくりつけて固定した。
魔の海峡のスタート!
どうやら、船はビーグル水道を抜け、「魔の海峡」と呼ばれるドレーク海峡に差し掛かったらしい。南極海のはじにあるドレーク海峡とは、南アメリカ最南端のホーン岬と南極のサウス・シェトランド諸島との間にある世界一幅が広い海峡のことで、時には時速70キロの風も吹く、世界で最も荒れる海域として知られている。ここに沈んだ船は数知れない。
「噂には聞いていたけど、まさかこんなに大きな船でも揺れるとは!」
「海峡を渡るまでずっと、こんな調子なのかしら?」
「確か、ここを抜けるのに、24時間くらいかかるらしいよ」
「うえー、気持ち悪くなってきた」
「本格的に船酔いする前に、さっさと寝よう!」
そう言って、私たちが再び、布団にもぐりこんだ矢先、まったく予想外の恐ろしい事態が起きた。ブッシュー!! と直径40センチほどの丸窓から何か音がしたかと思うと、窓の端からジョバ! ジョバ! と海水が勢いよく噴き出してきたではないか!
「ええええ!? ちょっと、どういうこと!?」
「怖い! この船、沈む! 誰かー!」
斜め上すぎる展開に、仰天した私たちはさっきまでの船酔いはどこへやら。一難去らずして、また一難! 到着する前から過酷すぎるドレーク海峡ど真ん中の夜、続きは後編で。
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