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国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。20世紀の音楽史に燦然と輝く「ザ・ビートルズ」。この伝説のグループを世に送り出した英国の音楽プロデューサー、ジョージ・マーティン(1926~2016年)のエピソードが今回から始まります。「もし私が彼らと契約していなかったら」。約30年前、この希代のプロデューサーが、筆者のインタビューにそんな述懐をしていました。「契約していなかったら……」の続きをぜひ、お読みください。

ビートルズを歴史上の存在にまで押し上げた

ぼくがインタビューさせて頂いたミュージシャン、音楽プロデューサー、サウンド・エンジニアなどの数は2000名を超える。この連載では日本の著名ミュージシャンをこれまで紹介して来たが、今回は外国の大物プロデューサー、ジョージ・マーティンとの思い出を語ってみたいと思う。

2021年、Disney+(ディズニープラス)でドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ:Get Back』が配信され、様々なメディアで話題になった。楽曲「ゲット・バック」を知っていて、それが含まれるザ・ビートルズのアルバム『レット・イット・ビー』を知るファンにとっては、彼らがどうやって楽曲を作ったのが伝わる素晴らしいフィルムだった。コアなザ・ビートルズのファンの方々ならメンバーの4人以外にもプロデューサー・エンジニアのグリン・ジョンズ、オノ・ヨーコ、リンダ・マッカートニーといった登場人物の若き姿に眼が行ったと思う。そういった登場人物の中で常にワイシャツにネクタイ姿でスタッフに指示を出すジョージ・マーティンの姿もあった。

ジョージ・マーティンはザ・ビートルズをデビューさせ、彼らを歴史上の登場人物に押し上げた名プロデューサーだ。1926年1月3日、ロンドンのハイベリーに生まれたジョージ・マーティンは幼い頃にピアノを学び、イギリス海軍艦隊航空隊へ入除隊後、ギルドホール音楽演劇学校でクラシック音楽を学んだ。その後BBC(英国放送協会)に。次に1950年、レコード会社のEMIに入社した。1955年にEMI傘下のパーロフォンに配属され、英俳優のピーター・セラーズなどのコメディ・レコードを数多くプロデュースした。

「芳しい返事」はもらえていなかった

1950年代中期、アメリカではチャック・ベリー、リトル・リチャード、エルヴィス・プレスリーなどにより、ロックン・ロールが大ブームとなった。ロックン・ロール人気が一段落すると、今度は、ポール・アンカ、ニール・セダカなどポップス・ミュージックが流行し始めた。イギリスの若者の間でもアメリカの様々な形態のポップスが流行した。そこでEMIはアメリカのようなポップス・ミュージックをイギリスでも生み出すべく、傘下パーロフォンの何人かのプロデューサーに制作を命じた。その何人かにジョージ・マーティンも含まれていた。

1962年、ジョージ・マーティンは、ザ・ビートルズのマネージャーであり発掘者であったブライアン・エプスタインから、彼らの音源を聴かされ、リリースをしないかと持ちかけられる。地元リヴァプール、そしてドイツで多少は人気のあったザ・ビートルズのマネージャーを買って出たブライアン・エプスタインは、パーロフォンのジョージ・マーティンに売り込む前に幾つかのレーベルに声を掛けていたが芳しい返事はもらえていなかった。

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ビートルズと、何故、契約したのか……...
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岩田由記夫
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