国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。高橋幸宏の第3回は、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)が解散する1983年に発表されたシングル「君に、胸キュン。」(作詞・松本隆、作曲・YMO)に関するエピソードと趣味だった釣りの話題を紹介します。高橋幸宏が語った「君」とは、一体誰のことなのか―――。
急に人気が出たことへの違和感
Y.M.O.が人気になると、雑誌やラジオの取材が、スケジュールが詰まり過ぎているために難しくなっていった。ぼくは彼らのオフィスの社長だった故大蔵博と麻雀友達だったこともあって、すんなりとスケジュールをもらうことが出来た。
それまでコアな音楽ファンを除けば、一般的な認知度の低かった3人だったが、取材などで逢うと、この降って湧いた人気を楽しんでいるように感じた。
“何か笑っちゃうよね。自分はともかくとして、細野(晴臣)さんや教授(坂本龍一)は、Y.M.O.以前だって凄い実力があった。それが認められていなかったとまでは言わないけど、急に人気が出たみたいに扱われると、ぼくには違和感があるよね”
Y.M.O.時代のある時、高橋幸宏はそう語っていた。そういった違和感はメンバー全員が持っていたと思えた。
サイモン&ガーファンクルは凄いパワーだ
一方でスターになる必要性もユキヒロは感じてはいた。1981年9月、サイモン&ガーファンクルが再結成してニューヨークのセントラル・パークで約50万人を前にライヴを行った。ユキヒロはサイモン&ガーファンクルのファンだったので、ある時のインタビューでその話題になった。「君に、胸キュン。」が大ヒットしていた頃だ。
“(サイモン&ガーファンクルは)凄いパワーだよね、あそこまで多くの人に感動を与えるのは。ああいうのを観ると、やっぱりミュージシャンには売れることも必要だと思うよね。「君に、胸キュン。」の「キミ」は自分にとってはサイモン&ガーファンクルなんだよね。この曲はY.M.O.にしては異色かも知れないけど、初めて大ヒットを狙って作った曲なんだ”
そう語っていた。この頃にはY.M.O.の人気も定着していて、降って湧いた人気を楽しみつつ、大ヒットを狙う余裕が出てきていたのだった。