第1章 絶命するまで啖(くら)いつづけた男たち
肥満が何だ、栄養がどうした。
美味なるものを死ぬほど食べる。
これが生きることの悦楽の極致。
古今東西の食の殉教者たちの
垂涎のものがたり。
(6)ロシアの次はイタリアにトドメ
1日に平らげた料理の皿が104枚! フランス料理ももとをただせばボリュームたっぷりのイタリア式だが、それにしてもこの食欲。
♣仕事がどっさりありすぎるときは、まず食事からはじめるのがよい――アフリカの諺――
ロシア人と勝負させたいのがイタリア人。なにしろ大皿山盛りのスパゲッティを前菜に食べるという国民で、二大本能にすぐれていらっしゃることでも有名だ。
いまでこそフランス料理は中国と並んで世界に冠たる栄光を誇示しているが、フランス料理の原型は北イタリアのフィレンツェ、メディチ家からフランスのアンリ2世に嫁いだカトリーヌ妃が持ち込んだもの。それまでのフランス人は芋ばかり食べていた。1533年のことである。この年こそフランス料理誕生の前夜ともいえる記念すべき年である。
なにしろメディチ家といえば、ヨーロッパ各国の王様と貴族が相手の金融屋で、しばらく戦争をやるぐらいのお金は即日融資、返済はアド・オン方式という大金持ち。15世紀から16世紀にかけて、3人のフィレンツェ共和国長官、7代にわたるトスカナ大公、2人のローマ教皇、5人の枢機卿、そして2人の女性がフランス王妃と、これだけの人材がメディチ家から出ているのである。
それほどの家柄だから、その豪華な饗宴たるや絵に描かれたり筆にかかったりで、1度の宴会が3日、4日ぶっ続けになるのはいつものことだった。食の世界史の伝説になっている絢爛(けんらん)とおどろきは別の機会に紹介するが、要するにイタリアは食に関して最高の先進国なのである。胃袋に歴史がある。