誰もが一度は耳にしたことがあるだろう愛称「デゴイチ」で知られるD51形・蒸気機関車。1936(昭和11)年から1945(昭和20)年までの9年間に、のべ1115両も製造された国内向けの単一形式としては、日本最大の生産両数を誇る蒸気機関車だ。そのなかでも、1943(昭和18)年に製造された12両には、“特別な部品”が取り付けられていた。その部品とは、いったいどんな物で造られたものだったのか。戦後81年を迎える今、その記録をたどることにしたい。
※トップ画像は、宮内省から下げ渡された青銅花瓶を溶かして造られた部品「安全弁」が取り付けられたD51形蒸気機関車(D51862号機)。町田市すみれ会館で=2024年4月28日、町田市中町
戦時輸送を担った鉄道省とデゴイチ
1941(昭和16)年12月8日に「宣戦の詔書」が発布され、先の大戦がはじまる。翌1942(昭和17)年の秋頃になると、戦況は厳しさが増し、軍備増強を図るうえで鉄道による輸送対策は喫緊〔きっきん〕の課題となっていた。同じころ、国策によって家庭用品からも金属類を供出(金属回収)させるようになり、“デゴイチ”の製造工場でも銅・砲金を使用した部品類は鉄に代え、鉄のものは木材を代用するなど、「半戦時形」と呼ばれるタイプを製造するようになった。
1943(昭和18)年には、鉄道省大臣が昭和天皇に拝謁し、「戦時下の輸送対策」に関して奏上(申し上げることを)しており、鉄道そのものが軍事政策と密接に関係していたことが伺える。







