「駅舎の中に泊まってみたい!」。こんな鉄道マニアの夢をかなえてくれる場所が、あります。著者が53年前に訪れた北海道の駅は、なんと駅舎が民宿になっていたのです。東京・南青山でカイロプラクティック院を経営する山口博さんが体験した、1泊2日の夢のような「鉄道とグルメの旅」の体験記です。
※トップ画像は、駅構内でバーベキューができる現在の比羅夫駅
あれから53年、無人駅になった比羅夫駅
「交通機関がないので、次の駅では降りないでください。その次の駅で路線バスやタクシーなどをご利用ください」と、乗っている列車が駅に到着する前に、下車しないようにと日本語と英語でアナウンスされる駅があります。
JR北海道函館本線(通称・山線)にある、無人駅の比羅夫(ひらふ)駅です。リゾートで人気のニセコ駅と北海道新幹線の駅が出来る倶知安(くっちゃん)駅との間にあります。
この比羅夫駅の開業は明治37(1904)年で、令和6(2024)年は丁度、開業120周年になります。駅には記念のフラッグが飾ってありました。現在の駅舎は昭和37(1962)年に建てられて、今年、築62年です。比羅夫駅は昭和57(1982)年3月から無人駅となりました。無人駅になって42年の歳月が流れました。
私は、学生時代、一度だけ、比羅夫駅に降りた事があります。53年前の昭和46(1971)年で、その頃は、駅員さんもいらっしゃいました。今と昭和46年の駅舎の写真を比較すると、窓枠以外、ほとんど変わりません。
人気列車C62の最後のニセコ牽引を見届ける
昭和45年頃、北海道では、函館本線、室蘭本線など、国鉄(現在のJR)の本線や支線、また、美唄(びばい)鉄道や夕張鉄道など炭鉱を持つ運営する会社が経営する私鉄の多くで蒸気機関車が走っていました。
一番人気は、C62型蒸気機関車(通称・シロクニ)が2台繋がって(重連)、函館本線の山線、長万部(おしゃまんべ)と小樽間を走る急行「ニセコ」です。私は、昭和45(1970)年の夏、急行「ニセコ」を撮影するために、青函連絡船で初めて、北海道へ渡りました。
函館本線山線の撮影場所でC62の重連を待っていると、遠くから「ゴー」という飛行機が近づいてくるような音が聞こえます。通常、蒸気機関車の音は「シュッシュッポッポ」という感じですが、全く違う音です。
だんだん音が大きくなりC62の姿が見えると、地面に響くような大きなドラフト音(蒸気機関車のシリンダーによる駆動音)と、迫力ある堂々としたC62に圧倒されました。
この日からC62重連による急行ニセコ牽引が終わるまでは1年くらいでしたが、冬休み、春休み、夏休みと北海道へ行って、その姿を撮影しました。昭和46年はC62重連によるニセコ牽引、最後の年です。
比羅夫駅に降りたのも撮影の為でした。比羅夫駅に着いた時、列車間隔があったからか、また、東京から来たからか、駅員さんが私を駅舎内に入れてくださいました。
現在の比羅夫駅はホームと線路が1本しかない棒線駅ですが、昭和46年当時の写真を見ると、ホームが2つ、線路は3本あったのがわかります。