『その時歴史が動いた』や『連想ゲーム』などNHKの数々の人気番組で司会を務めた元NHK理事待遇アナウンサーの松平定知さんは、大の“城好き”で有名です。旗本の末裔で、NHK時代に「殿」の愛称で慕われた松平さんの妙趣に富んだ歴史のお話をお楽しみください。今回は、武田信玄と甲府市にある躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)です。
「甲斐の虎」 戦いに明け暮れた一生
「甲斐の虎」と呼ばれた武田信玄という人は上杉謙信と対照的で領土的関心が強く、甲斐を本拠地にしながら、信濃や駿河、三河、遠江、美濃にまで進入し、戦いに明け暮れた一生でした。
風林火山の軍旗を用い、騎馬軍団で一気呵成の勝負に出る。そんなイメージがあると思いますが、実は彼は戦わずして勝つことを目標にしていたように思います。
江戸時代にまとめられた『甲陽軍鑑』は武田氏の戦略や戦術をまとめたものです。それを読みますと、「三ツ者」と呼ばれる隠密集団に敵情を調べさせ、敵の弱点を洗い出し、内訌を誘発させるようなことを行っていたことがわかります。戦う前に敵を知ること、情報こそが勝利の近道ということを知っていたのです。
「甲州金」と呼ばれる統一通貨
また信玄は、政治と経済を一体とした領国経営を行ったことで、戦国最強といわれる武田軍を作っていきます。父信虎を追放し、家督を継いだ後、彼は信玄堤に代表される治水工事を進めます。戦国の頃は米社会ですから、米の生産量を上げるためには、治水が重要という判断です。農民から感謝されながら、より多くの年貢を取っていくという政治です。
さらに、鉱山開発に積極的でした。よく「信玄の隠し金山」といわれますが、金山衆(かなやましゅう)と呼ばれる人たちを使って鉱脈を発見し、甲州金と呼ばれる統一通貨も作っています。
経済力があったからこそ、多くの兵を雇い、隣国に攻め入ることができたのです。