山本勘助はじめ24人の武将
信玄は甲斐武田氏のボスとはいえ、実際に戦うのは兵士であり、現場指揮官です。武田二十四将図というものが残っています。
信玄と信玄を支えた山本勘助はじめ24人の武将が描かれていますが、どの武将も指揮官としての能力が高かったかがわかります。信玄は有能な指揮官を見つける能力と彼らの意見に耳を傾ける度量があったのだと思います。
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、あだは敵なり」
彼が残した有名な言葉に「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、あだは敵なり」というものがあります。どんなに堅固な城を築いても兵に志気がなければ、城は簡単に落ちてしまいます。逆に城がなくても、兵や民衆に結束した気持ちがあれば、敵に侵略されることはないというものです。
広大な領土を持ちながら、躑躅ヶ崎館が中心であり、城を築くことがなかった武田信玄は、いかに部下や民衆を信じることが重要かを語っているのです。
もうひとつ、彼は「甘柿も渋柿もともに役立てよ」ともいっています。これは、役に立たないと切り捨てるのではなく、何か役に立つように能力を引き出すということです。