失恋描写の達人 「電車の中吊り広告」が作詞に役立った
彼の名前くらいしか分からず、互いに声を掛け合うこともなく、ひと夏の片想いは終わった。恋の達人みたいに思えるユーミンにも、こんな美しい、失恋とも呼べない淡い恋があった。そのことは新鮮な驚きをぼくに与えてくれた。
ユーミンを恋の達人と述べたが、それは恋愛成就の達人というわけではない。ユーミンは、その楽曲をすべて聴けば分かるが、失恋描写の達人なのだ。彼女の中学3年生の夏のひと夏の経験とも言えそうな体験も、きっと後の彼女の楽曲に影響したのではないだろうか。人は多くの失恋を土台にしている。恋愛成就の曲より、失恋の唄のほうが、多くの人の心を捉えるものだ。
早熟だったと自ら語るユーミンだが、この中学3年生の御茶ノ水予備校通いは、後から振り返って良い思い出だったのだろう。このちょっとした打ち明け話を訊いた時には、松任谷正隆氏と結婚し、出すアルバムはすべてヒットするという、幸せな状態にユーミンはいた。ユーミン自身が幸せだったからこそ、この“御茶ノ水の恋”は、懐かしく、美しい思い出に昇華していたのだろう。
悲しい心を抱えて帰る、御茶ノ水から八王子への長い電車旅は、ただの悲しい時間ばかりではなかった。その長い時間、いつも眠ることもなく、電車の吊り広告に書かれた文字を、ぶつぶつ言いながら読んでいたという。
“吊り広告のコピーって、下手な詞より生き生きとしていて、作詞に役立つと思うの。私の書く詞には、そういうところから閃いたものが結構多いのよね”
ここはユーミンのすごいところだと思う。普通、失恋の予感を抱えながら、別のことを考えるのは、大人でも難しい。それがミドルティーンといえる中学3年生時に、パラレルに同時進行できてしまう。そこが、すごいのだ。
深夜のファミレス、カップルを観察してイメージが湧く
かつてファミリー・レストランができ始めた頃、そこは若者の溜まり場だった。夜、どこか、例えば東京在住なら、カップルで江の島など湘南へドライヴに出かける。その帰りの夜、ファミレスに寄って、もしかして今日、最後になるかも知れない、ラヴ・トークをする。そんな若者が、初期のファミレスには多かった。
その頃、ユーミンは今と同じ世田谷で暮らしていて、ぼくも世田谷に住んでいた。深夜のファミレスで何度か、ユーミンと会った。トレンドを先取りするのが上手なユーミンにとって、ファミレスは新鮮だったのだろう。
“ファミレスにいて、シートにぴったりと背中を付けて、後ろの席にいるカップルとかの話を訊いてみるの。そうすると、新しい詞のイメージが湧くこともある。前の席に座っているカップルを観察して、そこにいる彼女が自分だったら、どうなるんだろうって思ってみる。それも詞になることがあるわ”
ただ、恋をするだけでなく、恋を観察できる。それが、ユーミンなのだ。
岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo」で、貴重なアナログ・レコードをLINNの約350万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。
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