ワインの海、小ネタの浜辺

シーザーの愛したワインは、海に沈めた葡萄で造られた?!【ワインの海、小ネタの浜辺】第7話

“イタリアン・コネクション”で貴重な1本を入手 さて、いったい、どんな味がするのだろう? 猛烈に気になって、わが“イタリアン・コネクション”に連絡を取り、ミッションを伝えた。待つこと数日、現地エージェントK氏から「すでに…

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2000年以上前に造られていた“マリンワイン(海のワイン)”を復活させたワイナリーがあるという話を知ったのは、2021年の9月のことだった。

エルバ島はナポレオン・ボナパルトが流された島として有名。ワイン造りの歴史も長い

エルバ島のワイナリー当主、アントニオ・アリギ氏のプロジェクト

それはイタリア・トスカーナ州のエルバ島にあるワイナリー〈アリギ〉の当主アントニオ・アリギ氏が手掛けたプロジェクトで、島のブドウ畑で収穫したブドウを5日間水深10mの海の中に沈めてから引き揚げ、天日で干してからテラコッタのアンフォラ(素焼きの甕)で醸造するというもの。

アントニオ・アリギ氏

世界のあちこちで、ワインの入ったボトルを海に沈め、どのように熟成するかを検証するプロジェクトはある。シャンパーニュの大手メゾン、ヴーヴ・クリコがフィンランドの海で行っている「セラー・イン・ザ・シー」が最も有名だろう。この企画は元々、2010年に同海域で見つかった沈没船から200年以上前に造られたシャンパーニュ47本が引き揚げられたことがきっかけになっている(200年熟成のシャンパーニュは全く劣化していなかったそうだ)。それとは別の話だが、僕も10年ほど前にスペイン北部ガリシアの海で“水中熟成”された白ワインを飲ませてもらったことがある。しかし、そのワインは半ば海水の味がして、お世辞にも旨いとは言えなかった。きっと水圧にコルク栓が圧され、海水がボトル内に染み入ってしまったのだろう‥‥。

今回の話題はそういう話とは似て非なるものだということを是非ともこの時点で強調しておきたい。これは、ワインを海に沈める話ではなく、ブドウを海に沈める話なのだ。

2000余年の時を経て復活したマリンワイン「ネソス」

2021年7月、2000余年の時を経て復活、リリースされたマリンワインの名は「ネソス」(ギリシャ語で「島嶼」を表す言葉)2019年ヴィンテージ の生産量はわずか240本で、たちまち売れ切れてしまったという。

この「復活劇」の端緒となったのはミラノ大学のアッティリオ・シエンツァ教授だ。ブドウ栽培の研究者で、レオナルド・ダ・ヴィンチのワインの再現に取り組んだことでも知られるシエンツァ教授は、2500年ほど前にギリシャのキオス島で造られていた「富裕者のワイン」についてリサーチをしてきた。キオス島の商人はその特別なワインを当時地中海沿岸で最も栄えていたマルセイユに運んで売り、大きな成功を収めた。歴史家プリニウスはジュリアス・シーザーが催した祝賀会でこのワインが振る舞われたと記している。キオス島の商人たちは航海の途中にエルバ島にも立ち寄っていたことがわかっており、「富裕者のワイン」の評判がエルバ島にも伝わっていたであろうことは容易に想像がつく。一方、キオス島のワイン生産者はこのワインの製法を秘密にして守っていたという。

収穫したブドウをエビの養殖用の籠に

2018年、シエンツァ教授がエルバ島を訪れ、冒頭に登場したアリギ氏と出会ったことで、古代ワイン復活への気運が一気に高まった。ピサ大学から栽培・醸造の研究者2人が加わり、実証実験と試行錯誤が始まった。選ばれたブドウ品種は島の在来種であるアンソニカ。これは東エーゲ海東部の古代ブドウであるロディティスとシデリティスの交配によって生まれたことがわかっており、キオスで栽培されていたアンソニカ・インゾリアとよく似ている。果皮が厚く、海の深みに沈めても破裂する心配がないという利点もあった。初年度は、ブドウを沈める深さや時間を変えて実験が繰り返され、最終的に40本のワインができたが、それらが市場に出ることはなかった。その年の研究成果を生かして造られたのが19年ヴィンテージ の240本というわけだ。

ブドウの入った籠をダイバーが海へ

海に沈めることで得られるメリット

なぜ海にブドウを沈めるのか? という素朴な疑問が浮かぶことだろう。まず、海水の塩分と潮流がブドウの果皮を覆うブルームと呼ばれる蝋質を取り除いてくれることがポイントであるという。これにより後段の天日干しの時間が短くて済む(ブドウのフレッシュさが残せる。参考までに、イタリア各地には収穫後のブドウを天日干し、もしくは陰干しにしてから醸造するワイン製法が今日でも残っている)。さらに、浸透圧により微量の塩分が果実内に入り込むことで、それがワインに独特の風味を与える。塩分には抗酸化・抗菌の作用もあり、酸化防止剤(SO2)を添加することなしにワインを造ることができるというメリットもあるという。また酵母の添加も不要とのこと。もともと果皮に付着している野生酵母が海水によって活性化するのだろうか。

水深10mの海中に漂う籠。ブドウは海水の影響を少しづずつ受けていく

除梗されたブドウは皮付きのままアンフォラに入れられ、発酵後も6カ月間果皮と共に寝かせられる。瓶詰め後さらに1年間の熟成を経てようやくリリースとなる。醸造プロセスから見ると、白ブドウを赤ワインの醸造法で醸す、皮醸しの、いわゆるオレンジワインで、そこにブドウを天日干しすることによる何らかの作用が加わっていると推測することができる。

天日干ししたブドウをアンフォラへ

“イタリアン・コネクション”で貴重な1本を入手

さて、いったい、どんな味がするのだろう? 
猛烈に気になって、わが“イタリアン・コネクション”に連絡を取り、ミッションを伝えた。待つこと数日、現地エージェントK氏から「すでに商品は完売しているが、ワイナリーに残された貴重なストックから、試飲用に1本売ってもいいと言っている」との回答が来た。調べてみたところ、市場価格は188ユーロ(約2万4000円)であったらしい。わが非凡なるエージェントがうまく取り計らってくれて、ワイン代は半額になった。それでも送料を合わせると230ユーロを超える大出費である──。

航空便で届いた「ネソス2019」は、黒い特製ボックスに入っていた。開けてみると、黒々としたボトルが。ラベルも黒地で、ワイン名とアンフォラの形を描いた図案が金色に輝いていた。それは白ワインというよりは赤ワインを想起させる外観だった。

「ネソス2019」

10月某日、僕が信頼を寄せているワイン仲間を集めて、テイスティング会を行った。香りも味も十全に味わうべく、ワインを冷やしすぎぬように注意を払った。

開栓直後、まず立ち上がったのはドライアプリコットの香りだった。鋼を思わせるミネラル感があり、磯の風味が追いかけてくる(やはり海水由来か)アモンティリャード・シェリーのような「ひね香」が厚みを加えていた。口に含むと、かっちりとした骨格があり、意外と塩っぽさはなく、甘・酸・苦のバランスが絶妙である(海水に浸すことでブドウの酸度が下がるが、旨味に関与するフェノリックの値が上がると資料にあった)。時間経過と共に、甘苦系スパイス、ローズマリー、レモンバーム、ジンジャーブレッド、腐葉土‥‥様々な風味が次々に顔を出す。その変貌のスピードについていくのが大変だった。

イタリア北部やスロベニアのオレンジワインやジョージアのアンフォラワインを飲んだことのある人にとっては、それほど風変わりには感じられない、むしろ王道的と言っていい味わいだった。それは同席したワイン仲間たちが口を揃えて述べたことだ。ただ「ネソス」の尋常でなかったのは、ボトルの底からフツフツと湧き上がってくるかのような、エネルギーだった。物事をミステリアスに捉える傾向のある人は、その力感の源を海が持つ神秘的なパワーと結び付けたがるかもしれない。そういえば、マリンワインの異名には「富裕者のワイン」の他に「神々のワイン」というのがあるそうだ。

1/240の貴重なボトルが空になった直後から、もう一度あのワインが飲みたいという、叶う見込みのない渇望がわが胸にずっと渦巻いている。

ワインの海は深く広い‥‥。

Photos by Yasuyuki Ukita, Azienda Agricola Arrighi
Special thanks to Azienda Agricola Arrighi, Kazunori Iwakura

浮田泰幸
うきた・やすゆき。ワイン・ジャーナリスト/ライター。広く国内外を取材し、雑誌・新聞・ウェブサイト等に寄稿。これまでに訪問したワイナリーは600軒以上に及ぶ。世界のワイン産地の魅力を多角的に紹介するトーク・イベント「wine&trip」を主催。著書に『憧れのボルドーへ』(AERA Mook)等がある。

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