国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。忌野清志郎(1951~2009年)の第2回は、主に1980年代のエピソード。趣味の自転車、食へのこだわり…。友人の岩田さんに見せた音楽活動以外の「素顔」とは。
渋谷で偶然、声をかけられ…振り向くと
あれは1981年初夏、忌野清志郎のRCサクセションが、キティ・レコードに移籍してアルバム『PLEASE』を発表した翌年のことだった。ぼくは渋谷駅から宮益坂を歩いていた。坂の途中で自転車のベルが後方から鳴り、“岩田クン~”と声を掛けられた。声の主は忌野清志郎だった。
“お~、清志郎、どこから来たの”と問うたら、“多摩からひとっ走り”。ぼくが“え~、多摩からだと渋谷まで何十キロもあるじゃん。自転車で来たのかよ、凄いな”と言うと“自転車乗ってると気分いい。何十キロなんて全然平気なのさ”と答えた。その後、清志郎の知名度が全国区になると、彼の自転車愛もファンの知るところとなった。
自転車だけでは無い。清志郎は少年のような、いつも何かに興味を持つ人だった。興味を持ったら実際にやってみたり、興味を持ったものを手に入れていた。自転車を筆頭にカメラ、ウクレレ、法螺(ほら)貝、喉によいレンコン・ジュース作り、身体によいシジミのエキス作り、イラスト書き等々、逢う度に何かに夢中になっていた。
法螺貝は時代劇に出てくるブォーと吹き鳴らす、あの大型の貝だ。あるインタビューの時、“最近、これに凝っててね”と持って来た。困ったのは、ぼくが質問する都度、法螺貝を吹き鳴らすのだ。“清志郎、ちゃんと答えてくれよ”とぼくが言うと“ブォー”。あげくの果てに、“オレと岩田クンの仲なんだから適当にブォーっと書いとけよ”などと言い出すしまつ。その内ぼくも笑いだしてしまった。
撮影用スタジオに持ち込まれたガスコンロと大きな鍋
こんなこともあった。有名ミュージシャンに、今夢中になっていることを訊くという企画を依頼され、何人かにインタビューをすることになった。清志郎に企画を依頼したところ、了承してくれた。ただし、撮影用のスタジオにガスコンロと大きな鍋を用意して欲しいと頼まれた。コンロと鍋?何か料理でも披露してくれるのかなと思っていた。
スタジオにやって来た清志郎は、大きな重そうなレジ袋を両手に持っていた。どの袋にもシジミがぎっしり入っている。“どうするの、こんなにたくさんのシジミ?”と問うと、“今、凝ってるものを作るんだよ”とニッと笑った。大きな鍋にシジミをあけ、スタッフにひたひたの水を入れるように指示した。“で?”とぼくが言うと清志郎は“今、凝ってるのは、シジミのエキス”と涼しい顔で答えた。
それから2時間以上、シジミはコトコト煮られた。やがて、ドロリとしたエキスができ上がった。“これな、身体にいいんだぜ”と清志郎は満足そうに笑った。スタジオどころか、建物全体にシジミの臭いが行き渡り、他のスタジオで女性ファッションの撮影をしていたスタッフたちが、何だ、この臭いはと調べに来た。
レンコン・ジュースというのも教えてもらったことがある。レンコンをおろして、絞って汁を作る。その汁に蜂蜜を加える。ステージで歌う前にそれを咳にからめるように飲む。風邪で喉が痛い時も効くと言っていた。シジミに含まれるオルニチンが身体によいとサプリメントが作られ、人気となっている。蜂蜜が喉に良いのでマヌカハニーを愛用するシンガーも多い。そういったことがブームや人気になる数十年前、清志郎は自然健康法を実践していたのだ。