国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。忌野清志郎(1951~2009年)は豊かな音楽性に加え、社会に向かってメッセージを発信し続ける一貫した姿勢にも、多くの共感が集まりました。政治や社会にどんな思いを抱いていたのか。第3回では、発売中止の事態となったアルバムのエピソードも交え、その胸中を探ります。
アーティストも政治や社会の影響を受けている
日本では諸外国に比べて音楽に政治を持ち込むなという声が多いと思う。アートが純粋にアートで完結する場合がある一方で、アートが政治や社会に対してのメッセージを持つこともある。アーティストだってひとりの人間、政治や社会の影響を受けて生きている。当然、作品に政治や社会に対してのメッセージを内包させることもある。コメントを添えることもある。
ザ・ビートルズにしろ、ザ・ローリング・ストーンズにしろ折折で、作品やコメントで政治や社会に物申している。それだけでなくブルース・スプリングスティーン、マドンナなどのようにはっきりと支持政党や支持する候補者への応援コメントを送る場合も多い。それだけでなく、支持しない権力者に対して、アンチ・キャンペーンをはることも珍しくない。
そういった行動が日本では非常に少ない。時にはそういった行動を取ると無言の圧力さえ生じる。民主主義国では珍しい存在が日本なのだ。
原発問題を扱い、発売中止になったアルバム
忌野清志郎はまずは生粋の優れたロック・ミュージシャンであり、政治や社会に対してその作品や言動でメッセージを出し続けた。福島原発の事故以降、原発の問題が社会的に大きくクローズアップされた。
1988年に発売されたRCサクセションのアルバム『COVERS』では、「ラヴ・ミー・テンダー」と「サマータイム・ブルース」のメロディをいかしながら、原発と放射能を歌い込んでいた。発売元の東芝EMIの親会社は、原発を事業に組み込んでいる東芝だった。社長は親会社から来るのが慣例だった。そういった上層部の圧力でアルバムは発売中止となった。
そこへキティ・レコードが救いの手を差し伸べ、アルバムはリリースされた。『COVERS』はRCサクセションにとって初のアルバム・チャートNo.1になった。
“ミュージシャンである前に人間なんだよな。だから、歌いたいことを歌うのが当たり前なんだよ。結果的に『COVERS』はリリースされたけど、もし完全に権力が封じ込めて発売中止にしたって、オレはひとりでも聴いてくれる人がいる限り、どんな歌でも歌い続ける。それが、ロックンロールっていうことじゃないの”。そう清志郎はぼくに語っていた。