音楽の達人“秘話”

名曲「自衛隊に入ろう」の“アノ伝説” 高田渡が語った真相とは 音楽の達人“秘話”・高田渡(1)

ライヴで「本当に寝ちゃった……」 酒が大好きだった。自分が気に入らないとライヴでもテレビ出演でも辞めて帰ってしまう人だった。酒に酔ってステージに上がり眠ってしまうこともあるというのが、高田渡のファンには伝説となっていた。…

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国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。今回から登場するのは、フォーク歌手の高田渡(1949~2005年)です。1969~71年にかけ京都で過ごし、関西フォークの中心的な存在として活躍。その後は東京に戻り、吉祥寺界隈を拠点に独特の世界観を持つフォークソングを世に送り続けました。第1回は、代表曲「自衛隊に入ろう」のエピソード。本人から訊いたその内容とは……。

細野晴臣が言う「次代の音楽シーンのゴッドファーザー」

音楽シーンの内側にはゴッドファーザー的な人物がいる。その人の経歴をひもといてゆくとあらゆる音楽のルーツ、スーパースターの人脈図などで大きな存在となっているのが分かる。現在の音楽シーンのゴッドファーザーとしては細野晴臣の名をあげる音楽業界のエグゼクティブは数多い

その細野晴臣が次代の音楽シーンのゴッドファーザーになるだろうと言っているのが、シンガー・ソングライター/ギタリストの高田漣(れん)だ。現在の細野晴臣の重要なバックアップ・ミュージシャンであり、数多くの人気ミュージシャンにも引っ張りだこだ。細野晴臣から帝王学を授けられているのかも知れない。

1969年、「五つの赤い風船」とのカップリング・アルバムでデビュー

高田漣の父親は2005年4月16日、56歳の若さでこの世を去った高田渡だ。インタビューしたときの高田漣によれば、わりと幼い頃から父に連れられてスタジオやライヴの場所に出入りし、細野晴臣ともそういった場所で出逢ったという。貧困に育ち、中学卒業後、印刷工となった高田渡は社内のバンドでウクレレを弾き、やがて音楽にのめり込んでゆく。1967年、佐賀県の親戚の家に身を寄せ、高校に通うものの数カ月でドロップアウトして東京に戻った。数々のライヴ、フォークソングの研究を経て1969年、日本初のインディペンデント・レーベルURC(アンダーグラウンド・レコード・クラブ)から西岡たかし率いる「五つの赤い風船」とレコードのA面、B面をシェアしたカップリング・アルバムでデビューした

ぼくが初めて高田渡と逢ったのは1976年頃だったと記憶する。彼の音楽が大好きだったし、尊敬する西岡たかしの親友であることも高田渡と話してみたかった理由だ。途中、何年か逢えない時期もあったが、1990年代初期くらいから知人が彼のマネジメントに関係したこともあって、2005年の死まではかなりひんぱんに逢うことができた。

とにかくデビュー以来、変わらず、一貫した人だった。デビュー前、アメリカン・フォークの祖のひとり、ピート・シーガーに手紙を書き、来日時にコンサートに招待されたこともある。そのピート・シーガーに影響されたのか、いつもチェックのシャツにジーンズ、このファッションも一生守り続けた

高田渡の名盤の数々。1971年の『ごあいさつ』(右上)には、京都時代を歌詞に盛り込んだラブソング「コーヒーブルース」などを収録。はっぴいえんど(大滝詠一、鈴木茂、細野晴臣、松本隆)らが演奏で参加している

ライヴで「本当に寝ちゃった……」

酒が大好きだった。自分が気に入らないとライヴでもテレビ出演でも辞めて帰ってしまう人だった。酒に酔ってステージに上がり眠ってしまうこともあるというのが、高田渡のファンには伝説となっていた。その真否を本人に訊ねたこともある。

1、2回だけど本当に寝ちゃったことがあったな。自分で歌ってて、あまりに気持ち良くてね。お客さんにヤジられて、ハッと眼を覚まして歌い続けたんだけど、俺が気持ちよく寝てるのに起こすなよ、という感じだった。でも、さすがにステージで眠り込むのはまずいので、それからはステージの前は少しお酒の量を減らすことにしたけどね

伝説は真実だったのだ。

五つの赤い風船とのデビュー・アルバムに「自衛隊に入ろう」という歌があった。自衛隊を非難するフレーズは一切ない。入隊を勧めることで、自衛隊、日本全体を批判する、いわば誉め殺しの歌だった。当時、自衛隊に入隊する若者が少なく、大きな駅の出入り口などで“自衛隊に入りませんか”と勧誘を受けることがままあった。ぼくも何度か声掛けされたことがある。

自衛隊から電話があった!

ただ歌詞だけ読めば、自衛隊の勧誘ソングに聞こえるこの曲を、自衛隊が気に入って、いわゆる応援ソングにしたいと高田渡に連絡を入れたという伝説があった

ああ、その話は本当だよ。自衛隊の人から電話があったんだ。丁寧にお断りしたけど、笑えたね。お役人なんて、皆、ジョークが分からないとは思ったけど、本当にそうなんでびっくりした。歌ひとつでも結構、怖いことが起こるもんだ”と後に高田渡は教えてくれた。

かつて、ベトナム戦争を批判した1984年発表のブルース・スプリングスティーンの大ヒット曲「ボーン・イン・ザ・U.S.A」の“BORN IN THE U.S.A”のタイトルだけに着目して、ロナルド・レーガンがその年の大統領選でこの曲を使い、スプリングスティーンの労働者階級での人気を利用しようとしたことがある。スプリングスティーンはすぐさま、曲の使用について大いなる不快感を示した。そのずっと前にこの日本で、それに似たことが起きていたのだ。

“ああ、そうだよ。権力者っていうのは、いつの時代でも利用できるものは、何でも利用したがるんだ。ずっと昔からね”

高田渡にブルース・スプリングスティーンのこの話を詳細に伝えたところ、そう言っていた。

2004年に公開された映画『タカダワタル的』(右上)。デビュー35年を迎える高田渡の活動や日常を追ったドキュメンタリー

岩田由記夫(いわた・ゆきお)

1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。

岩田由記夫
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