浅田次郎の名エッセイ

「勇気凜凜ルリの色」セレクト(24)「脱稿について」

1990年代半ばは激動の時代だった。バブル経済が崩壊し、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件、自衛隊の海外派遣、Jリーグ開幕に、日本人大リーガーの誕生、そして、パソコンと携帯電話が普及し、OA化が一気に進んでいった。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルからの視点で切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」(週刊現代1994年9月24日号~1998年10月17日号掲載)は、28年の時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。 この平成の名エッセイの精髄を、ベストセレクションとしてお送りする連載の第24回。今から28年前、当時まったく売れていない駆け出しの作家だった浅田さんを訪ねてきたひとりの編集者が、浅田さんの手をがっちりと握り、「僕と一緒に直木賞をとりましょう」と力強く言った。それから2年後、書き上がった小説は、駆け出しの作家の作品としては想定外の、とんでもないボリュームの壮大なスケールの物語になっていた。

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「脱稿について」

弁当箱状厚物小説ブームのなかで

一昨日未明、えんえん2年間の時を費して書き続けてきた書き下ろし長編小説を、遂に脱稿した。

今ためしに物差しで計ってみたら、きょうび珍しい手書き原稿は厚さ20センチもあった。

というわけで、私の魂はただいま天の彼方に飛んでしまっており、改まって本稿を書こうとすると出来映えが危ぶまれるので、いっそ脱稿について書こうと思う。

この数年、なぜだかわからんが業界は厚物ばやりである。まさか厚さを競っているわけではあるまいが、本屋の店頭に並ぶ小説はどれもこれも弁当箱状の厚みを呈しており、半ば強迫観念に捉われてわが作品もクソ長くなってしまった。

こうした「厚物現象」の火つけ役は、かの船戸与一氏であろう。数年前、「砂のクロニクル」という超厚物を店頭で発見し、てっきり「イミダス」「知恵蔵」に続いてどこぞの出版社が、またぞろシャレた命名の事典を出したのだなと思ったら、何と小説であった。

ページを繰ってみたら、これがまた豆活字三段組というそら怖ろしい代物で、世の中には物凄い作家がいるのだなあと感心したものである。先日銀座のバーで御尊顔を拝したとき、思わず手を合わせてしまった。

そのうち、宮部みゆき氏、高村薫氏の厚物が、続々と出版されるに到って、「厚物現象」は一種のブームとなった感がある。

船戸氏の場合はいかにも厚物にふさわしい豪腕作家の風貌をしているが、宮部氏の場合は「みゆきちゃん」と呼びたくなるような乙女であり、高村氏の場合は知的な心理学教授のイメージがある。つまり、厚物は顔で書くものではないのだと知ったとき、私は鏡を見た。

あんまり豪腕そうではない。「次郎ちゃん」と親しげに呼びかけられるふうでもなく、インテリジェンスは全然感じられない。ならばこの顔でも厚物が書けるのではないかと思ったとたん、私は燃えた。

ところで、小説家には二つのパターンがある。

一つは、構想らしき企てをあまりせず、心の赴くままに物語を書き綴って行って、結果それがふしぎと小説になる、という天才肌の作家である。代表選手は川端康成であろう。物語の結末は常に茫洋たる霧の中に吞まれてしまい、早い話がどこから始まってどこで終ってもかまわないような気もするのだが、小説としてはふしぎなくらい完成している。

もう一つは、当初からガッシリとした構造を組み、完璧な目論見のもとに物語を展開し、ドラマチックに終熄させるという、秀才型の作家である。こちらの代表は言わずと知れた三島由紀夫である。

では、近ごろの長編厚物作家はどちらの系統に属するかというと、本来長編には向いているはずの前者川端型はなぜかおらず、ことごとくが後者三島型と思われるのである。

この現実は怖ろしい。ただ漫然と小説を書いて、結果かように長くなっちまったという作品がない。みなさん、はなっからキッチリと構想を練って、あたかも図面通りに家を建てるがごとく小説を完成させているらしいのである。

つまり、厚さも厚いのだが、中味もガチンコの真剣勝負の感があり、ヘタな厚物を書いたらいっぺんに能力を見破られてしまうという怖ろしさを感じる。

私の場合も小説作法は明らかに後者に属する。血液型はA型であり、細かいことにグダグダとこだわる東京人であり、そのうえ若い時分に自衛隊の判で捺おしたような生活を体験しており、おまけにその後の極道生活で「筋を通す」というモラルを深く植えつけられていた。

要するに筆を執るまでがまず大変だったのである。執筆依頼を受けたのち、半年も経てばどれほど気の長い編集者でも、そろそろ脱稿かな、と連絡してくる。ところがそのころ、私は脱稿どころかまだ表題すら書いていなかったのである。

執筆中は100年前の中国人になりきり…

その間いったい何をしていたかというと、作品の舞台が中国であるので、まず市の教養講座に通って北京語を習い始め、中国人留学生と飯を食ったりお茶を飲んだりし、戦前の北京や天津を知っているお年寄を訪ねて話を聞き、古書街を漁り、博物館を訪ね、三度三度中華料理を食って胃を痛めていたのであった。

こういう作業にはきりがないのである。しまいには小説を書くためにそうしているというより、ほとん100年前の中国人になりかわってしまい、ある朝、鏡を見たら卑屈な宦官が立っていたので驚いた。

書斎はわけのわからん書籍にうめつくされてしまい、壁には大陸の古地図とか戦前の北京市街図とかが貼りめぐらされ、古道具屋で見つけたガラクタとか、さる士大夫の直筆になる書簡とか、清王朝の皇統図とか官吏の組織図とかがゴロゴロと転がって足の踏み場もない。そのただなかに、中華街で買った黒い長袍(チャンパオ)を着、小帽(シアオマオ)を冠り、怪しげな色眼鏡をかけて机に向かうころになると、このさき小説を書き始めるか中国に亡命するか、生きる道は二つに一つしかなくなる。

で、ようやく半年後、そうしたすばらしい環境の中で筆を執ることとなった。

家族が私の変容にあまり興味を示さないのは、馴れているからである。先だっては闇市のブローカーに変身していたし、数年前は旧陸軍の軍服を着て小説を書いていたこともあるので、中国服ぐらいでは全然ビクともしないのである。

ただし、いちど軍刀を吊ったまま真夜中にタバコを買いに行き、交番に連行されたという苦い経験があるので、何が起こるかわからないから中国服のまま外出はするなと言われている。

かくて1年半のふしぎな生活の末、めでたく脱稿のときを迎え、私は平成の日本に帰ってきた。

しかし推敲(すいこう)を了え、原稿が手を放れるまではまだ平常の生活に戻るわけには行かない。

ところで、御同業のみなさまも執筆に当たっては、多かれ少かれ私と同じようなことをなさっているのだろう。そう思ってパーティの折などによくよく観察すれば、なるほど時代劇作家はさむらいや町人の顔をしており、推理作家は探偵のような顔をしている。ハードボイルド作家はみな筋骨隆々として渋い目付きをしているし、SF作家は異星人か異次元の人に見える。近ごろベストセラーとなった「パラサイト・イヴ」の作者の顔をグラビアで見たとき、とっさにホラーを感じたのは私ばかりではあるまい。

そういえば、銀座のバーで船戸与一氏の姿に思わず手を合わせたのは、氏が巨編「蝦夷地別件」を脱稿なさってから、そう日は経っていなかったころであろう。どうりで吹雪の曠野を歩いて銀座に乗りこんできたような迫力に満ちていた。

近日中に江戸川乱歩賞の受賞パーティに出席する予定であるが、まさか卑屈な宦官の顔をして行くわけにはいかないので、それまでせいぜい他の世界に頭を移動させておかねばなるまい。

ともかく、脱稿をした。

この解放感こそが、小説家の醍醐味である。本当なら明日からでもこの解放感とともにオーストラリアで羊と遊ぶか、ニューカレドニアの海上ホテルで昼寝をするかしたいところなのだが、私は貧乏なのでそういうまねはできない。中国服を脱いで銭湯に行って2年間の汗を流し、茶漬を食って猫と遊ぶ。

こうして私も近いうちに、弁当箱状の厚物を書店の店頭に並べることになった。はたしてどういう評価をいただき、どんな売れ行きを示すのか楽しみである。

ともかく、脱稿をした。

解放感とともに前作のイメージを、頭の中からきれいさっぱり拭い取らなければならない。この作業は熱中した作品であればあるほど難しい。こういうとき、下戸の身は哀しい。

いずれにせよ一両日中に気分転換を図らねば、このさき溜りに溜った仕事に手が付けられぬ。

ともかく、脱稿をした。

初出/週刊現代1995年9月16日号)

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

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