遺された夜の森の動画には、ずっと巣穴が
小原玲の仕事の大半は、待つことでできている。あまり快適なところでは待てない。寒かったり、蒸し暑かったり、虫がいたり。
モモンガの森でも夜に待っている。それは長い時間。
彼にいつまでに戻るのかを尋ねるのは無駄だから、しない。撮れるまで撮るから。
訊かないから、自発的に言う。二週間で戻るね。信用しない。撮れなければ、戻って来ない。絶対に。
報道カメラマン時代にも、ずっと待っていたから、慣れているし、スキルもある、とよく言っていた。でもね、大きな違いがあるんだよ。
「政治家とか芸能人とか、狙い通りに出てきたときには、やったあって思うよ、そりゃ。これで仕事できた、帰れるって。でもさ、この子達に会えたときには、本当に嬉しいんだよね、だって可愛いもん」
特に、春が来て赤ちゃんが初めて外を見るときがいい。その幸福感が、彼にずっと動物を撮らせてきたのだとわかった。
遺された夜の森の動画がある。ずっとずっと、巣穴が映っている。ずっとずっとずっと巣穴だけが。。
でも、早送りはしない。彼が待ったように待つ。きっとこの何十倍も何百倍も、あの森で巣穴の前で。彼は待っていたのだ。これくらい待てないでどうする。
モモンガの姿が見えたときには、きたあ、と叫んでいた。ここは、彼とは違う。野生の生物の元へお邪魔するときには、静かに静かに彼らの邪魔をしないように、これも小原のモットーだ。生き物への最大のリスペクトは、小さな虫や花やきのこが相手でも変わらなかった。
最後の動画に残った声
最後の動画には声が残っている。
「限界です。情けない」
そこまで、写真を撮り続けた小原玲は、幸福な男だったと思っている。
そんなにも好きなことがあるなら、それを死の直前まで貫き通すことができたなら、そしてそれを支える人がいたなら。
それを幸福と言わずになんと言う。
「生きていれば、撮りたいものは次々出てくると思うよ。でも、撮り残したと思うものは無いなあ」
そう言いながら、たった一つの後悔を彼は胸に抱えて死んだ。
その後悔を無かったことにした人がいた。それが私の心の一番深いところに刺さった棘だ。だがこれ以上、何も言うまい。
自分が死と向き合ったときに、死にゆく人を愚弄する罪深さを知れとだけ。
とても綺麗なオホーツクの空に
最後の時間を離れて過ごしたことに悔いはない。
私達は離れていても家族だ。だが、動物のいないところでは彼は写真家じゃいられない。
あの森で、彼は最期まで写真家であり、同時に父で、夫でいた。
それは真実でもあり、強がりでもある。
予定としてはね、もう一年くらいは一緒にいるつもりだったから。彼はそう言っていた。私は、あわよくば、もっとと思っていたけど。
戻ってくると思って、選択したことだったから。
でも晴れた日に亡くなって、晴れた日に空に帰したから、煙はとても綺麗なオホーツクの空に消えた。最後まで撮り続けた被写体の近くで、家族に見守られて眠るようになんて、やりたい放題してきたくせに、でき過ぎだ。
何かあると、あけみちゃんには敵わないなあって言ってて、私も、そうでしょうねって返してた。けど、そうでもないと思う。
どれくらい先になるかわかんないけど、私、これ以上、おさまりのいい死に方する自信ない。