「アザラシの赤ちゃん」や「シマエナガ」などカワイイ動物をカメラに収めてきた動物写真家・小原玲さん(1961~2021年)の“最後の作品”は、北海道に滞在して撮影した「エゾモモンガ」でした。その愛らしい姿を捉えたラストショットは、今夏の24時間テレビ「愛は地球を救う」で紹介されて注目を浴び、支えた家族の姿とともに大きな感動を呼びました。小原さんがガンで亡くなって、11月17日でちょうど1年。16日には遺作写真集『森のちいさな天使 エゾモモちゃん』(講談社ビーシー/講談社)が出版され、24日からは東京都内でメモリアル写真展が開かれます。写真集発売と写真展開催によせて、妻で作家・大学教授の堀田あけみさんが全4回の週1連載で夫の軌跡をたどります。最終回は「最期の森まで」です。
「月の夜に飛ぶの、撮りたいなあ」
「どう思う?」
「良いと思います」
年を経た夫婦は会話が少なくなると言うか、最少の語数で意思の疎通ができるらしい。シマエナガの次は何を撮るかは、こうして決まった。
「きちんと狙う、最後のターゲットになるかもしれないしさ」
五十を過ぎた辺りから、彼は老いを恐れるようになった。老いが具体的に意味するところは思うように写真が撮れなくなることだ。
「齧歯(げっし)類だし」
そう言って笑って、エゾモモンガの取材に出かけた。
齧歯類、は我が家においては私の別称である。前歯が目立つのでビーバーの「びーちゃん」が学生時代の愛称だった。娘は私と口喧嘩をすると、「お母さんのばか」の代わりに「お母さんの齧歯類」と言う。齧歯類、上等じゃん。
彼が見せてくれた齧歯類は、大きな目がそれはそれは愛くるしくて私とは違う。なんだかんだ、私に一番似ている齧歯類はカピバラだと思う。ビーバーよりも。
「飛ぶんだよ」
「飛びますね」
「哺乳類なのに。こんなちっこいのにさ」
でかい哺乳類が飛んだら、怖いのでは。
「夜に飛ぶんだよね。月の夜に飛ぶの、撮りたいなあ」
モモンガのどんな写真が撮りたいのか、延々と話す彼を見ていると、これは長い付き合いになりそうだと思った。様々な生き物に食指を動かすけれど、撮ってみてそれほどでもなかった、ということもある。それは相性一つで。
北海道・網走で一人暮らし
そんなことを言っていたら、新型コロナの大流行が始まった。移動が制限されるので、取材もままならない。郵便局に勤める次男だけが、毎日粛々と出勤した。郵便物は増えたので。長男と長女、そして私はオンライン授業をしたり受けたり、夫だけが暇というか、自分を持て余している。散歩がてら雀を撮る。可愛い。だけど、それは自分が撮りたいと願ったものではない。
彼の被写体への思いは恋だから、惚れ込んだ相手じゃないと駄目なのだ。
「オホーツクに住みますか?」
思い切って言ってみた。思い切らなきゃいけないのは、それが家族にとって大きな決断だから、というだけでなく、小原は寂しがりで構って欲しがりで、二度の離婚の傷をまだ抱えていたから。なんでそんなこと言うの、あけみちゃんは僕がいなくてもいいの。そんなふうに怒られるんじゃないかと思った。
「単身赴任みたいな感じで」
「いいの? ありがとう」
幸い、彼は即断してくれた。本当に思い切り写真が撮りたくて堪らなかったのだと思う。網走で一人暮らしを始め、北海道土産を持って頻繁に帰宅する彼は、結構幸福そうで私の提案は間違ってなかったと安堵した。網走に彼を訪ねて理解したのは。
被写体にこんなに近く暮らしたことはなかったんだろうな。いつでも撮れる。特に夜、撮りたいから、家が近いのは有り難い。驚くほど、アパートと森の距離が近かった。ついでに、見上げた巣穴も思ったより近かったという印象だ。
「今は、ここの子、撮ってる」
そんなふうに、紹介してもらった。私がお邪魔したのは昼間なので、彼らは出て来ない。夜、また来るんだろうと思ったら、そうじゃなくて、一緒にゆっくりしよう、と言われた。
二人でいるのが日常だと、動物に一緒に会いにいくのがイベントになるけど、今は私の登場がイベントになってるわけで、なるほど小原玲には、うってつけの環境だ。