「ロック好きは皆オレの友達やけん」
シーナ&ロケッツ、エルヴィス・コステロのライヴを観たぼくは、招聘元の麻田浩氏のおかげで東京は一ツ橋の日本教育会館、渋谷の西武劇場(後のPARCO劇場)の楽屋を訪問できた。すでにインタビューを終えていたエルヴィス・コステロに逢うための楽屋訪問だった。日本教育会館の楽屋でライヴを終えた鮎川誠と初めて会話した。楽屋は混んでいて、ぼくも胸に記者証など付けてはいなかったので、鮎川誠はぼくをライヴの関係者だと思ったようだ。
ライヴが素晴らしく良かったとぼくが声を掛けると鮎川誠は“あんた、どこの人”と言った。ぼくは『FMレコパル』という雑誌でエルヴィス・コステロの記事を書くためにここにいると答えた。
“ああ、レコパルなら知っちょるよ。あんた、オレらのことも記事にしてよ”
鮎川誠はそういった。
“ところであんた、コステロのことを記事にすんなら、ロックは好きなんやね?”
楽屋は忙しかったので、そう長い時間は話せなかった。サンハウス時代は上京してライヴをしたが観客はあまり入らなかったこと、B.B.キングやマディ・ウォーターズ、チャック・ベリーなどアメリカン・ロックのルーツ・ミュージシャンの話もした。
“あんた、音楽評論家だけあってロックに詳しいんやね。オレらも東京でロック好きに一発かましちゃるから、また逢おうね。何て言ったってロックは最高やから、ロック好きは皆オレの友達やけん”
そんな会話で鮎川誠との初対面は終わった。この会話の時点でサンハウス結成からすでに8年。今思えば鮎川誠はロッカーとしては円熟期に入っていたのだ。しかし、ぼくが本格的に鮎川誠にインタビューできたのは1980年に入ってからだった。
前年、1979年12月に発表したセカンド・シングル「ユー・メイ・ドリーム」が、当時大人気だったイエロー・マジック・オーケストラ~Y.M.Oの細野晴臣がプロデュースしたこともあって、話題になったからだ。
岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)。