国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。鮎川誠の第3回は、鮎川誠の愛妻家の一面が語られます。九州から上京した背景には、妻シーナの存在が大きかったようです。そして、会話によく出てくるフレーズは、「シーナがこう言っちょるけん」だったそうです。
「シーナ&ロケッツ」は語呂合わせ
「ユー・メイ・ドリーム」はアルバム『真空パック』から、1979年12月5日にシングル・カットされた。作曲は鮎川誠とイエロー・マジック・オーケストラ~Y.M.O.の細野晴臣だった。日本航空のCMソングに使用されたこともあって、オリコン最高位20位にランクされ、シーナ&ロケッツの最大のヒット曲となった。曲のタイトルは“ユー・メイ”が“夢”で“ドリーム”も“夢”とイメージ的な語呂合わせがなされている。
そういえばシーナ&ロケッツというバンド名も語呂合わせだ。“ロケッツ”はシーナの本名“悦子”から“ロック+エツコ”を縮めて“ロケッツ”になったと鮎川誠から聞いたことがある。“ロケッツ”の英語表記も“ROCKETS”でなく“ROKKETS”となるのも鮎川誠的感性だろう。ちなみに名前とバンド名を組み合わせるのは、ビル・ヘイリー&ヒズコメッツ、ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズなど1950~60年代の原初のロックンロール/ポップスではよくあり、自分もそういうバンド名にしたかったと教えてくれたことがある。
「シーナがこう言っちょるけん」というフレーズ
鮎川誠は記憶力の良い人で1980年の早い時期、エルヴィス・コステロの楽屋以来の再会をした時もぼくの名前こそ浮かべてもらえなかったものの、FMレコパルなどで音楽記事を書いている人として憶えてくれていて話が弾んだ。とにかく愛妻家では話の端々に“シーナがこう言っちょるけん…”というフレーズが出てきた。
“シーナがおらんかったら東京ば出てきたか分からん。シーナがオレを後押ししてくれたんや”と言っていた。
鮎川誠は根っからのロッカーだった。そのファッション、ライヴ・アクション、生き様、言葉。ただ例えば、ザ・ローリング・ストーンズのミック・ジャガーやキース・リチャーズなどのように華麗な女性遍歴だけが無かった。結婚観だけは昭和の日本男子だった。仕事も一緒、家庭も一緒、息が詰まって喧嘩になることがないのか訊ねたことがある。
“そりゃあ喧嘩することはある。でもシーナは九州の女やけん、そうなると気が強い。言い争いになるけど翌日には何もなかったようになっちょる。オレにはずっとシーナしかおらんけん、古いロックやブルーズ、そしてシーナがオレのロックなんや”と答えていた。