新横浜ラーメン博物館・あの銘店をもう一度

“ラーメンの鬼”が残したレシピで再現、創業時の想いを伝える一杯 鵠沼時代の『支那そばや』【新横浜ラーメン博物館・あの銘店をもう一度】第15弾

復刻された鵠沼時代の醤油らぁ麺

鵠沼時代の「らぁ麺」が復活! 今回の出店では、支那そばやの原点でもある鵠沼時代のらぁ麺を、佐野氏が当時書き留めていたレシピをもとに3週間限定で復刻します。 麺は佐野さんが初めて使用した国産小麦「ハルユタカ」を使用。 この…

画像ギャラリー

新横浜ラーメン博物館(横浜市)は、30周年を迎える2024年へ向けた取り組みとして、過去に出店した約40店舗が2年間かけて3週間のリレー形式で出店するプロジェクト「あの銘店をもう一度」を2022年7月1日から始めています。このプロジェクトにあわせ、店舗を紹介する記事の連載も同時に進行中。新横浜ラーメン博物館の協力を得て、「おとなの週末Web」でも掲載します。

第15弾は、鵠沼時代の「支那そばや」です。

ラーメンに人生を捧げた佐野実さん

第15弾は、ラーメン業界に多大な影響を与え、人生の全てをラーメンに捧げた男“佐野実”さんのお店「支那そばや」さんです!

そして今回は、なんと!支那そばやさんの原点である鵠沼(くげぬま、神奈川県藤沢市)時代のらぁ麺を、3週間限定で復刻します!

【あの銘店をもう一度・第15弾・「支那そばや」】
出店期間:2023年4月25日(火)~2023年5月15日(月)
出店場所:横浜市港北区新横浜2-14-21 
     新横浜ラーメン博物館地下1階
     ※第13弾「元祖 名島亭」の場所
営業時間:新横浜ラーメン博物館の営業に準じる。
     詳細はコチラ

・過去のラー博出店期間
2000年3月11日~2019年12月1日

「支那そばや」外観

岩岡洋志・新横浜ラーメン博物館館長のコメント「いつも永遠にラーメンの話をされていた」

佐野さんと出会ったのは今から25年前。いつもお会いすると「ラーメン」、「ラーメン」、「ラーメン」と3時間でも4時間でも永遠にラーメンの話をされていました。ラーメン以外の話はほとんどしたことがありません。ここまでラーメンに没頭し、ラーメンを愛した男はいないと思います。お人柄は、情の深い、優しい、真面目な方です。仕事の厳しさとお人柄の優しさのメリハリをつけて、正直にごまかす事なく生き抜かれた方です。私はそんな佐野さんの生き様を尊敬しています。

佐野さんが逝去され、来年で10年が経ちます。今回は佐野さんの創業の地、鵠沼時代のラーメンを、佐野さんとともに歩んできた従業員の方々が、佐野さんの残したレシピをもとに復刻します。どんなラーメンが復刻されるか今からワクワクしますし、天国の佐野さんも喜んでいるのではないかと思います。

洋食のコックを17年間務め、1986年にラーメン人生がスタート

「支那そばや」創業者の佐野実さんは1951年4月4日、神奈川県横浜市戸塚区に4人兄妹の次男として生誕しました。中学校・高校時代は、新聞配達等のアルバイトをして家庭を支えつつ小遣いを貯め、そのお金で好きだったラーメン店に通っていました。

高校時代の佐野実さん

高校卒業後は、洋食のレストランに就職。それから17年間、洋食のコックとして店を渡り歩き、趣味でラーメン店の食べ歩きを重ねていました。食べるだけでなく、休みの日には自宅でラーメンを作るようになり、次第に独立してラーメン店を開きたいという思いになったそうです。

そして1986年8月6日、藤沢市鵠沼海岸に「支那そばや」を開店。ここから佐野さんのラーメン人生がスタートします。

鵠沼時代の「支那そばや」外観

支那そばやの歴史に関しては、2019年に発売した冊子「完全保存版 支那そばやのすべて」に詳しく書かれております。新横浜ラーメン博物館1階ミュージアムショップにて販売しております。

冊子「完全保存版 支那そばやのすべて」

名古屋コーチンをやっとの思いで仕入れる、食材への飽くなき探求

「食材の鬼」という異名を持つ佐野さんですが、最初から食材を追及していたわけではありませんでした。どうすれば美味しくなるのか?という探求心が最終的に食材へと結びついていったのです。

自分の目で確かめた厳選食材のみを使用

開店から2年間は苦戦が続くものの、研究の成果が出て少しずつお客さんが増えてきました。食材探求の入口は鶏ガラでした。たまたま手に入った地鶏のガラでスープを取ったところ、これまでより深みのあるスープが出来たのです。そこで、色々な地鶏を試した中、当時(1988年頃)ベストだと思ったのが純系名古屋コーチンでした。

しかし、当時名古屋コーチンのガラだけを卸すことはなく、ましてやラーメン店に卸すこともなかったため、中々売ってくれませんでした。生産者に交渉を重ね、ようやく仕入れることを許されたのです。そこで佐野さんはお店を休み、鶏舎を訪れました。そうするとその鶏舎はブロイラーのようにケージの中で育てるのではなく、大きな鳥小屋に数十羽の鳥を放し飼いし、餌から水まで吟味され、雑菌や病気を防ぐための予防設備も充実していました。

厳選素材で作られるスープ

その時、佐野さんは、こういう食材だけでラーメンを作ったら、安全で美味しいラーメンが作れる、そしてその食材は、生産現場を訪ね、自分の目で確かめたものだけを使いたいと思ったのです。このことが「食材の鬼」の原点となったのです。

その後、佐野さんは、自分の目で確かめた厳選食材を、弟子だけでなく他のラーメン店にも提供できるようにと、食材の卸業としてエヌアールフードを設立し、今では全国のラーメン店がエヌアールフードから食材を仕入れています。

国産小麦にカルチャーショック

全国のラーメン店を取材している中、佐野さんにとって大きな出会いがありました。そのお店が現在も交流が続く、山形県酒田市にある「味龍」の岡部正巳(故人)さんでした。

佐野さん曰くこのお店の麺を食べた時、衝撃を受けたとのことです。香り、滑らかさ、しなやかさ、これまで経験したことのない麺だったそうです。佐野さんは岡部さんに「美味しいですね。何の粉を使っているのですか?」と尋ねたところ「国産小麦だよ。このあたりで取れる南部小麦の新種だよ」と岡部さんは答えてくれました。

佐野さんはカルチャーショックを受け、小麦と言えばカナダやオーストラリアだと思っていたし、国産の小麦が使えるとは知らなかったのでした。当時(1993年)ラーメン店で国産小麦を使っているところはほとんどありませんでした。

取材から戻った佐野さんは早速、製麺屋さんを呼び、国産小麦で麺を作ってほしいと依頼しました。しかし製麺屋さんからは「国産小麦は、風味はいいけど、コシが弱いし、バラツキがありすぎるから作れない。どうしても欲しいなら他をあたってくれ」という回答だったそうです。

そこから国産小麦を調べると北海道に「ハルユタカ」というパン用の強力粉があることがわかり、佐野さんはすぐに札幌に飛び、当時「ハルユタカ」を扱っていた江別製粉に交渉しました。当時は国産小麦の生産量も少なく、よそに分けるほど量がないという理由で断られました。しかし佐野さんはあきらめることなく通い続けることにより、ハルユタカを分けてもらえることになりました。

北海道へ小麦の視察

そして1200万を投資して製麺室を作り、400万の製麺機を購入し、自家製麺に切り替えたのです。しかし、いざ製麺を始めるとなかなかうまい麺が出来ませんでした。

そこで佐野さんは味龍の岡部さんに毎日のように電話をかけ、うまくいかない理由を研究していきました。佐野さん曰く「完璧なゴールはないものの、国産小麦の特性を把握し、ある程度納得する麺を作るのに8年かかった」と言われておりました。

自家製麺を広めた第一人者

内モンゴル産かん水をリスク承知で輸入

ラーメンの麺を作る上で欠かせないのが「かん水」です。簡単に言うとラーメンの麺からかん水を抜くとうどんになります。

ただ、佐野さんはかん水のアンモニア臭が嫌いで、なんとかならないかと色々探していました。すると、特有の臭いのない内モンゴル産のかん水の存在を聞きつけ、すぐに内モンゴルに渡りました。

内モンゴル自治区のかん水採掘場

使ってみると臭いがなく、しかもリン産塩類も含まれておらず、体にも優しい。これは良いと思い使うことになるのですが、そこには大きな問題がありました。内モンゴルかん水を輸入するには最低20トンを仕入れなければなりませんでした。さらに輸入するにあたり、かん水工業会に加盟したり、税関検査に立ち会ったり、苦手な事務手続きが山のようにありました。

しかしどうしても使いたかったため、リスクを承知の上で輸入したのです。1997年の事でした。この出来事が先に述べたエヌアールフードの設立に繋がったとのことです。佐野さんはこれだ!と思ったものは、どんなに難関な壁があってもあきらめません。ラーメンファーストなのです。

支那そばやの自家製麺

鵠沼時代の「らぁ麺」が復活!

復刻された鵠沼時代の醤油らぁ麺

今回の出店では、支那そばやの原点でもある鵠沼時代のらぁ麺を、佐野氏が当時書き留めていたレシピをもとに3週間限定で復刻します。

「支那そばや」鵠沼時代の店内

麺は佐野さんが初めて使用した国産小麦「ハルユタカ」を使用。

この「ハルユタカ」は、病気に弱く、生産者にとって作りにくい品種だったことから後継品種の「春よ恋」が台頭して2004年以降、作付面積が極端に減りました。今回は3週間のためだけに、当時取引していた江別製粉の協力のもと「ハルユタカ」を主体とした当時の麺を再現しました。

ハルユタカをブレンドした自家製麺

スープは当時のレシピをもとに、佐野さんが食材探求のきっかけとなった名古屋コーチンの丸鶏を主体に数種類の鶏をブレンド。

名古屋コーチンの旨みが詰まったスープ

具材は、山形県平田牧場「三元豚」のバラチャーシュー、現在は穂先メンマですが、当時使用していた台湾産の短冊メンマ、そして九条ネギ、有明産の海苔と当時の味を再現。

山形県「平田牧場」産の「三元豚」

鵠沼時代の味を知っている方には懐かしさを、当時を知らない方には佐野実氏の創業時の想いを感じていただける一杯が完成しました。

復刻醤油らぁ麺

この期間だから食べられる、この期間しか食べられない幻の一杯を是非お召し上がりください。

『新横浜ラーメン博物館』の情報

住所:横浜市港北区新横浜2-14-21
交通:JR東海道新幹線・JR横浜線の新横浜駅から徒歩5分、横浜市営地下鉄の新横浜駅8番出口から徒歩1分
営業時間:平日11時~21時、土日祝10時半~21時
休館日:年末年始(12月31日、1月1日)
入場料:当日入場券大人380円、小・中・高校生・シニア(60歳以上)100円、小学生未満は無料
※障害者手帳をお持ちの方と、同数の付き添いの方は無料
入場フリーパス「6ヶ月パス」500円、「年間パス」800円

※協力:新横浜ラーメン博物館
https://www.raumen.co.jp/

画像ギャラリー

この記事のライター

関連記事

[Alexandros]磯部寛之さんが堀切菖蒲園ではしご酒 2回目のお泊まり取材!ちょっとした奇跡も起きました

【難読漢字】食べ物クイズ とにかくお高いです

「ダイハツ」出荷再開で“みそぎ”は済んだのか? 気になる「中古価格」と「安全性」

【難読漢字】食べ物クイズ 世界最古のスパイスです

おすすめ記事

こだわりの逸品で贅沢な蕎麦前を!オススメ蕎麦店6選 日本酒はもちろん、ワイン、ウイスキー、テキーラも◎

[Alexandros]磯部寛之さんが堀切菖蒲園ではしご酒 2回目のお泊まり取材!ちょっとした奇跡も起きました

「おとなの週末」スタッフが忘れられない「蕎麦前の名品」 舌の上で瞬時に溶ける煮こごりに、赤ちゃんのほっぺのようなそばがきって一体!?

大丸東京最上階にバーあるのをご存知?『XEX TOKYO The BAR & Cafe』のシック&ラグジュアリーな空間で東京駅の喧騒とおさらば!

『本家あべや 東京駅 北町酒場店』の比内地鶏は毎日秋田から丸鶏を直送! 20種類以上の地酒とあわせて隅々まで堪能できるのだ

【難読漢字】食べ物クイズ とにかくお高いです

最新刊

「おとなの週末」2024年5月号は4月15日発売!大特集は「銀座のハナレ」

全店実食調査でお届けするグルメ情報誌「おとなの週末」。4月15日発売の5月号では、銀座の奥にあり、銀…