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「ラブ・レターについて」

大長編の執筆中にカンヅメにされた保養所で

直木賞をいただいた短篇集『鉄道員(ぽっぽや)』から、3篇が別々に映画化されることになった。

その第1弾として、『ラブ・レター』が全国松竹系の映画館で公開され、原作者はただいまてんてこまいの忙しさである。

よく考えてみれば、映画は監督の「作品」であり、原作を提供しただけの私が営業に飛び回るのは、いささかはしゃぎすぎという気がしないでもない。この点はおなじみ「お祭り次郎」のキャラクターがなせるワザではあるが、案外きちんと考えていることもある。

ひとりでも多くの人に、小説を読んでほしい。むろん私の小説を、という意味ではなく、テレビも映画もいいが小説という娯楽を持ってほしいと思う。だから映画を観て感動した人が原作を読み、小説の楽しみを知るためには、小説家である私はできうる限りの努力をしなければならない。これはつとめであると思う。

文芸こそが文化の旗手であるとされていた平和な時代はとうに終わっており、今やコンピューターとビジュアリズムとがその主役であることは疑いようがあるまい。

社会の姿がすでにそのような形になっているのであるから、時流に超然として小説を書くことはおそらく滅びの道に通ずるであろう。

滅びは大げさにしても、「読む人だけが読めばよい」という作家の姿勢は、小説をいずれマニアックな、特殊な文化に変形せしめる。ならばこの際ビジュアリズムと共存しつつ、あるいはその実力を借りて小説の復興をたくらむのは、あながち卑屈な方法ではあるまい。

長いこと売れない小説を書き続けてきた私は、売れないという事実そのものが私の作品を貶(おとし)めていると考え続けてきた。売れないことが悔やしいのではなく、売れる小説を書けぬ自分が情けなかった。

売れる小説はいい小説であり、いい小説は売れるはずだからである。すぐれた芸術は常に大衆とともにあり、そうした普遍性のない芸術はまがいにちがいないからである。

かくて私は「お祭り次郎」と化し、顰蹙(ひんしゅく)を買い譏(そし)りを受けつつ、きょうも営業に飛び回る。

ここまでの原稿を読み返し、あまり普遍的でない気がしたので突然ではあるがトーンを変える。

短篇集『鉄道員』は5月末日現在、なんと90万部も売れちゃってるのである。うれしい。すごくうれしい。印税のあらかたは税務署とJRAに召し上げられたけれど、銭カネの話は別にしても、すごくうれしい。

90万部といえば、ミリオン・セラーまであと一歩、いわば指呼(しこ)の間(かん)と言えよう。思い起こせば一年前、初版二万五千部でスタートしたこの本が、こんなことになろうとはまさか考えてもいなかった。

手元にある初版のオビには、「あなたに起こるやさしい奇蹟」なんて、歯の浮くようなキャッチ・コピーが付いているが、今にして思えばまさに大予言のごときフレーズであった。

ところで、このたび映画化された「ラブ・レター」という短篇は、この『鉄道員』の中に収録されているのであるが、これぞまことに奇蹟のようないきさつがある。作品および映画の尊厳をあやうくする可能性を承知で、こっそりと「ラブ・レター」執筆秘話を公開してしまおう。

3年前の今ごろであった。当時私は長篇小説『蒼穹の昴』をコツコツと書いていた。脱稿予定日はすでに半年も超過しており、業(ごう)を煮やした担当編集者が、ある日突然私を拉致(らち)したのであった。

版元音羽屋は業界のガリバーである。ガリバーは金持ちであるから、ついこの間もニューヨークに招待してくれたし、そのわずか2週間前には中国にも連れて行ってくれた。しかし、いかに金持ちガリバーとはいえ、まったく商品価値のない3年前の私を外国に拉致するわけはなく、千葉県外房の千倉(ちくら)という漁村に私を連れて行ってくれたのであった。

なぜ千倉かというと、そこに音羽屋の保養施設があったからである。つまり、シーズン・オフで部屋も空いているから、そこで小説をセッセと書け、というわけだ。

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ほんの一瞬の出来事で書き上がった小説...
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おとなの週末Web編集部 今井
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