命がけの海難救助の後に!?
さて、選手たちがクラブハウスで盛り上がっているころ、1番ティから直線で1キロほど先の海上では、大変な事が起きていた。荒れ狂う波と強風に翻弄された一隻の大型漁船が、次第に危険な岩場の方向に流され、辛うじて先端の岩にひっかかって停止した状態だった。そこから先は岩が鋭く、強風下での生還は過去に例がない。救助には一刻の猶予も許されなかった。
湾に面した町では、人々が再三にわたって救助船を漕ぎだそうと試みたが、どうしても沖まで進むことができないまま、無為な時間だけが容赦なく経過していた。
そのころになって、ようやくクラブハウスにも一大事の知らせがもたらされた。選手一同、外に出てみると、座礁した船上から救助を求める数人の人影がうっすらと認められる。
「クラブ所有のボートがあったね?」
メイトランド・ドーガルは、早くも雨合羽に身を包みながら傍らの書記に尋ねた。
「1番ティから200ヤード先の係留所に一隻」
「オールの数は?」
「4本です」
「よし。ボート漕ぎの経験者3名を募りたい」
すると、その場にいた全員が手を挙げたというから欣快。彼は言った。
「命懸けの仕事になるよ」
それでも、誰一人として手を降ろす者はいなかった。メイトランドは屈強な男3名を選ぶと、1番ティの横からボートの係留所に向かって走った。すると全員が外に飛び出して、荒波に漕ぎ出す4人を見送ったあとも海岸線から離れなかった。
記録によると、無謀な試みは遅々として進まず、船影が荒れ狂う波間に消えること再三、何人かのメンバーは仲間の救助用にと船の調達に奔走し始めた。書記が述懐したところによると、万が一にも成功するとは思えない危機が続いた。
やがて、信じられない粘りで沖のほうから迂回、漁船に近づいたボートは、5人の乗組員を救助すると、再び白い牙をむく岩場を避けてようやくのこと、セントアンドリュースの岸辺まで辿り着いた。と同じころ、漁船が転覆して木っ葉みじんに砕け散った。まさに間一髪、これ以上のタイミングは望みようもない救出劇だった。
ドーガルと3人の選手は、実に5時間もオールを握っていた。誰の手もマメがつぶれて鮮血にまみれ、なかには足や肩に傷を負って直ちに医師のところに運ばれる者もいた。精根尽き果てた彼らは、しばらく歩くことも困難だったが、ようやくクラブハウスに戻ってみると、そこに待ち受けていたのが100人以上の市民たち、拍手と抱擁でもみくちゃの歓迎だった。
「皮肉はゴルフの本質」とウィンストン・チャーチルは喝破したが、そのころになって風こそ依然として強かったものの、雨がぴたりと止んだ。ゲームを中止する理由は何もない。競技委員会では正午にティオフすると発表したあと、もし漁船救助に出向いた勇者が試合に出る場合、疲労を考慮して「ラビット・ティ」からのショットを認めると言った。いまのレディース・ティである。それを聞くなり勇者全員が怒った。
「屈辱的な発言だ。直ちに撤回してくれたまえ!」
ドーガルはロッカールームに戻って乾いた服に着替えると、次に管理室に出向いて工具箱を借りてきた。さらに自分のガッタパーチャ・ボールを椅子の上に並べ、錐でボールの腹に穴を開けて中に散弾銃の小さな鉛弾をいくつも詰め込み、焼き鏝を使ってゴムの表面を元通りにつくろった。
当時のルールによると、ボールの直径についての規定は存在したが、重さに決まりはなかった。重いボールは浮力が得られず、敬遠するのが当たり前の話。にもかかわらず、あえてドーガルは鉛を詰め込むことで強風に流されにくい弾道を得る作戦を立てたのだ。
両手に包帯姿の彼ら4人は、さらに増えた市民の声援の中、黙々と球を打ち始めた。ドーガルの包帯は早くも2番ホールにして赤く染まったが、委細構わず重いボールを打ち続けた。
「彼の苦痛には、想像を絶するものがあったはずだ。しかし、ついに彼は呻き声ひとつ発することなく、終始変わらぬ態度でホールアウトした。5時間も荒波と格闘した男のスコアは112打であり、優勝したウィリアム・トンプソンにわずか及ばず、惜しくも2位に甘んじたが、もちろん万雷の拍手を浴びたのはドーガルだった」
書記の記録によると、後日、彼は敗血症のため2本のゆびを失った。それでも1865年の「ウェールズ杯」で見事優勝している。
(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)
夏坂健
1936年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘された。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。