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今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。もう一つ大事なのは“読むゴルフ”なのだ」という言葉を残した夏坂さん。その彼が円熟期を迎えた頃に著した珠玉のエッセイ『ナイス・ボギー』を復刻版としてお届けします。第17回は、平凡なゴルフは飽きたとばかりに、一風変わったプレーに挑んだユニークな先人たちを紹介します。

夏坂健の読むゴルフ「ナイス・ボギー」その17 変態のすすめ

軍の完全重装備でプレーして100を切れるか?

1957年、悠久のゴルフ史の中でも、およそ前例のない奇妙なクラブ対抗戦が行われた。

かつてイギリスからオーストラリアに移民した一族の中に、折り紙つきのゴルフ狂がいた。彼は事業に成功、メルボルンにコースまで建設すると、故郷の名を借りて、チェルテンハム・ゴルフクラブと命名したのである。1956年、旅行中のイギリス人がこの名称に気づいて立ち寄り、それが縁となって本家チェルテンハムにあるコッツワルド・ヒルズGCと兄弟コースの縁が結ばれた。

「さっそく、親善試合でも開催しようではないか」

双方から声があがったのはいいとして、何しろ遠すぎる。二の足を踏んでいるとき、会員の1人が素敵なアイデアを提供した。

「お互い、同ハンディの選手を12人揃えて同じ日にマッチプレーを行う。経過は電話で確認し合って決着をつけようではないか」

まだ衛星回線のない時代、電話が最速の連絡手段だった。さっそく取り決めがなされたあとの2月12日、遠く離れた2つの国で、24人の選手による「相手の見えないマッチプレー」が行われた。その日、イギリスでは風雨が強く、オーストラリアでは快晴だった。ゲーム開始直後から掛けられた電話の総数が175本、受話器から煙が出て不思議な騒ぎが始まった。ストローク数が頻繁に告げられ、終わってみるとイギリス側の辛勝、わずか2アップの差だった。ゴルフは紳士と淑女のゲーム、欺瞞などありえないからこそ大西洋、インド洋をまたいでの試合も可能となる。

さて、人は平凡に飽きるのが宿命、ゴルフでも風変わりな世界に足を踏み入れる者が少なくない。たとえば1942年、イギリスのロイヤル・セントジョージスの近くに駐屯していた陸軍第6師団のトーマス・ファーラー軍曹は、平凡なゴルフに飽き足らず、仲間に奇妙な賭けを持ちかけた。

「明日の夕方、俺は完全重装備で1番ホールからスタートする。18ホールを100打以内で回るつもりだ。そこで部隊の諸君に賭けを申し入れたい。果たして100打以内にホールアウトできるかどうか、もちろん俺には勝算がある。賭け金はいくらでも受けよう」

イギリス軍の重装備は西欧諸国の中で最も軽量と言われるが、それでも小銃、弾薬、短剣、食料、寝袋、水筒など、合計8キログラム以上あったと言われる。軍曹が出した条件は一つ、

「ショットに際して、小銃だけは地べたに置かせて欲しい」

ところが銃は兵士の命、地面に置くなど論外と全員から袋叩きにあって、文字通り完全重装備のままスタートすることになった。彼はハンディ9の腕前、部隊対抗戦では第6師団のキャプテンもつとめただけあって、最初のうちこそ呻吟する場面も多かったが、やがて慣れるに従い、中盤では3ホールもパーを取ったというから大したものである。ロイヤル・セントジョージスといえば、かつてバーナード・ダーウィンが次のような悪態をついた過酷なコースとして知られる。

「ここは、コースの4分の3がアンプレヤブル・ライである」

つまり、軽装でプレーしてさえ滅多にパーが取れない難コース。ところが偉丈夫で知られた彼は、敵前上陸の勢いで突進すること2時間余り、なんと「94」でホールアウトしてみせた。軍曹が獲得した賞金は軍事機密とされるが、一説によると新車2台が買えるほどの大金だったといわれる。

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甲冑に身を固めてプレー? 槍投げでコースを回る?...
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おとなの週末Web編集部 今井
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