第2章 美食に命を賭けたこの人たちの食卓
一食たりとも手を抜かない美食の殉教者たちの世にもおかしい食い倒れ、飲み倒れのエピソード。
人はどこまで食べられるか。
(10)美食学の創始者=ルイ14世の真髄
ほとんど歯がなく、しかも手で食事をする太陽王こそは、食に対する最も敬虔なる大信仰者であり、殉教者といえるだろう。
「美食学に始祖がいるとしたら、それはルイ14世ではないだろうか」
という説は正しいように思われる。
なにしろウマい料理を考案した者には惜しみなく金銀を与え、ときには爵位や領地までふる舞ったくらいだから、本職の料理人はむろんのこと、貴族の奥方、宮廷の士官、兵士の女房、だれもかれもが目の色を変えてオリジナルに取り組んだ。そのために宮殿の台所は、山のように持ち込まれる革新的料理で足の踏み場もなかったという。
すぐれた料理が次々に誕生しはじめたのは当然のことである。テリーヌ、パテ、数多くのソース、贅をこらしたデザート、ルイ十四世の人並みはずれた食欲が、百花斉放の美食時代の幕あけになったといえる。
ルイ16世の最後のメニュー
食べることにだって自分流がある。ただ一般にうけるかうけないかは全然別の問題。人の反感を買ったときはお覚悟を!!
♣食べることは本能である。しかし巧みに食べることは芸術である――ラ・ロシュフコゥ――
この人は最後まで徹底していた。
1793年1月21日、タンブル塔の牢獄の一室に運ばれた料理は、仔牛のカツレツ6枚、去勢鶏の半身肉のソース煮1皿、白ワイン2杯、カリカント・ワイン1杯、パン、サラダとフルーツ。
処刑の数時間前、フランス国王ルイ16世は、これだけの量を一気に食べてから皿をパンでぬぐったといわれる。
普通の男なら、カツレツ6枚に鶏の半身肉で満腹だろうが、ルイ16世に限っては少々物足りなかったと思われる。なにしろベルサイユ宮殿での絢爛豪華だった日々、国王は1日10時間ほど食卓についていた方である。この程度の量は、晩餐のオードヴルか3時のオヤツで召し上がっていたはずである。
ルイ16世は善良でまじめ、日曜大工が好きで、お人好しの2代目社長みたいな方だったが、食べることと妻のマリー・アントワネットには目がなかった。
ベルサイユ宮殿にはルイ14世から16世までが住まわれたが、初代から先代の15世まで、代がかわるたびに浪費もエスカレートしていって、16世のころにはかなりフトコロ具合が苦しくなっていた。国民のほうも長びく構造不況で、石のようなパンを水にひたして食べるような生活を強いられていた。
なにしろ美食、大食だったルイ14世の料理人が324名、ルイ16世の最盛期には386名の專用料理人がいたのだから、その経費だけでも莫大なものだったろう。しかも386名の料理人に加えて、侍従、女官から馬丁にいたるまで、約3000人の宮殿関係者を官舎に住まわせ、その妻子も食べさせていたのだから、多分国家予算の大半はベルサイユ宮殿の維持費で消えてしまったのではなかろうか。