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今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第69回目に取り上げるのは1991年にデビューした初代三菱RVRだ。

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三菱自動車としての歴史は浅い

三菱自動車の礎は1917年に設立された三菱造船にある。その三菱造船神戸造船所で乗用車を製造したのが始まりだ。その後三菱重工(1950~1964年は過度経済力集中排除法によって3社に分割)となったが、1970年に三菱重工の100%出資によって三菱自動車工業(以下三菱)が設立された。三菱重工の自動車部門という位置づけだ。

三菱のクルマ作りの歴史は100年を超える歴史を持つが、三菱自動車としては2025年の段階で55年。大手8メーカーでは、1984年に東洋工業からマツダに社名変更したマツダに次ぐ新しさなのだ。

1917年登場の三菱A型は日本初の量産乗用車

少数精鋭ながら幅広くラインナップ

重工から三菱となった時期は排ガス規制、オイルショックなど日本のクルマ界に大きな変革がもたらされた時代でもあった。それに対応すると同時に、ラインナップを増強。ランサー、ミラージュ、ギャランのヒットにより一般ユーザーへの知名度は飛躍的に高まり、初代パジェロの投入で、クルマ界全体に大きな影響を及ぼした。ジープのノックダウン生産を手掛けていた三菱は、その4WD技術、悪路走破性などに関する知見を乗用車に落とし込んで初代パジェロをヒットさせたのだ。

初代パジェロはジープで培った技術が投入された

さらに初代日産プレーリーに次ぐ日本の3列シートミニバン(当時はそんな言葉はなかった)の先駆モデルである初代シャリオを登場させるなど、トヨタ、日産ほどの車種数はないものの、当時トヨタ、日産にはなかったオリジナル軽自動車を含め幅広いジャンルのクルマをラインナップするようになっていた。

日本のミニバンのパイオニアの一台である初代シャリオ

当時流行したRVを車名にしたモデル

世界ラリー選手権(WRC)への参戦、パリ・ダカールラリー(現ダカールラリー)での活躍などもあり1980年代に三菱は販売規模が爆増していた。その勢いは1990年代に入って加速。バブル崩壊後の日本自動車界の救世主となったうちの一台、2代目パジェロが大ヒットしてRVブームを加速させた。RVはレクレーショナルビークル(Recreational Vehicle)の略で、アメリカ発祥の言葉。ただしアメリカのRVはキャンピングカーを指していたのに対し、日本ではレジャー、アウトドアを楽しむクルマ全般に使われていた。2代目パジェロはクロカンブームの主役となっていたが、1990年代初頭でRV=三菱というイメージは強かった。

クライスラーからの開発要請により生まれた初代RVR

そのRVという言葉を車名にまで入れ込んだのが今回紹介する初代RVRだ。車名は走りのいいRVという意味を込めてRecreational Vehicle Runnerと命名された。完全な和製英語ゆえ、日本専用の車名だった。RVRは北米ではエキスポLRV、欧州ではスペースランナーという車名で販売されていた。

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RVRの開発はクライスラーからの要請
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市原 信幸
市原 信幸

市原 信幸

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