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RVRの開発はクライスラーからの要請

初代RVRがデビューしたのは2代目パジェロの1年後となる1991年2月。2代目パジェロが大ヒットしたこと、RVブームにRVの名を冠して登場したことから三菱が勢いで作ったクルマのように当時も報道されたりもしたが、クルマは作ろうと思って1年そこらでできるシロモノではない。プロジェクト立ち上げから5~6年かかる。今でこそ開発期間は大幅に短縮されてきているが、1980~1990年代では、新車が出た時にはすでにその次のモデルの開発がスタートしていたというのもあながち嘘ではない。

三菱は三菱重工時代に締結したアメリカビッグ3(当時)のひとつであるクライスラーと蜜月の関係にあった。クライスラーは初代ボイジャー(1983年登場)でミニバンという新たなジャンルを北米で確立したパイオニア。そのクライスラーはミニバンよりも小さいコンパクトサイズのハイトワゴンを切望していて、小さなクルマ作りのノウハウを持ったパートナーの三菱に開発を要請。このコンパクトサイズのハイトワゴンというが初代RVRとなるのだ。

背面タイヤによってクロカンテイストが強調され、RVであることをアピール

その要請に対し三菱は1986年からブランニューモデルのRVRの開発に着手。つまり、RVブームに乗じた安直なモデルではない。まぁ、車名についてはいつでも決められるわけだから、RVブームに乗っかったのかもしれないが。

5年の開発期間を経て完成した初代RVRは北米では前述のとおりエキスポRVLとして販売され、クライスラーにはOEM供給され3ブランドで販売された。ダッジとプリムスはコルトビスタ、イーグルはサミットワゴンという車名だった。

RVRのOEMのプリムスコルトビスタ

プラットフォームは新開発

初代RVRのボディサイズは全長4360×全幅1695×全高1680mmと、当時の日本車でも特異なものだった。ショート&トールに加えて全幅は5ナンバーサイズ。三菱は初代RVR用にプラットフォームを新開発。ブランニューカーを登場させるのは、既存のプラットフォームをアレンジするのが常套手段のなか、手間と予算をかけたのは2代目シャリオの存在がある。2代目シャリオは初代RVRの3カ月後となる1991年5月にデビューしているが、RVR用に開発した新設計プラットフォームをストレッチ。初代RVRのホイールベースが2520mmに対して2代目シャリオは2720mmと200mmホイールベースが延長されている。

2代目シャリオは初代RVRのプラットフォームをストレッチ

背が高いけどスポーティなデザイン

プラットフォームを新設計したことにより背が高いのにノーズが低いといったデザインの自由度、独自性が高かった。さらに前後バンパー、サイドモールが同一線上に並ぶンでいるのでサイズ以上の伸びやかさを与えていた。しかもボディ色とは別色のツートーンカラーとしていたため、前後の厚みも感じられず背が高いのにスポーティに見せた。このツートーンはオフロード色を強調する役目も果たしていた

フロントマスクは異形2灯ヘッドライトで外側にポジションとウィンカーが埋め込まれ、それまでの三菱車にないテイストに仕上げられていた。

グリルガードがオフロードっぽい。下部分を別色としたことで背の高さを感じさせない
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コンセプトに先見性の明あり
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市原 信幸
市原 信幸

市原 信幸

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