コンセプトに先見性の明あり
初代RVRの素晴らしい点はそのコンセプトにある。前述のとおりボディ形態は今でいうハイトワゴンなのだが、オーバーフェンダー、グリルガード、背面タイヤなどによりオフロード色を持たせSUVテイストも盛り込んだクロスオーバーカーに仕上げている点だろう。三菱は今も昔もユーザーが好むアイテムを使うのが上手い。それらによりエクステリアデザインが精悍になっているのもいい。
さらに2+1という変則ドアを採用。フロントはヒンジドアで、リアドアは助手席側のみでスライドドア。ハイトワゴン+スライドドアのパイオニアでもある。ただ、当時はスライドドアに関しては勝手に開く、締りが悪いなどのトラブルはあったようだ。
リアシートの快適性はリムジン並み!!
特筆すべき点はその室内の広さ。2列シートモデルのみの設定で、乗車定員は4名と5名の2タイプ。4名乗車モデルは後席が300mm前後にスライドするため、身長によっては足を伸ばした状態で座ることができた。今では後席=アルファード/ヴェルファイアというイメージだが、初代RVRの広さはそれを凌駕するレベルだった。
当時は多人数乗車モデル、つまりミニバンや1BOXが増殖するなか、2列シートをゆったりと使うRVRは逆に優雅だった。RVRはミニバンではなかったが、フルフラットにもでき、跳ね上げ式のリアゲートなどRVとしての使い勝手はとてもよかった。さらに2列シートに特化したことで、ラゲッジ容量も自在で、ファミリーユースのほか遊びに使うギアとして優秀だった。
1.8Lの追加で販売アップ
デビュー当時のエンジンはギャランと同じ4G63型の2L、直4DOHC(140ps/17.5kgm)のみ。コンパクトなボディ(1380kg)に2Lエンジンということで動力性能面でも不満はなかった。その後、ユーザーの拡大を狙い、1.8L、直4ガソリンエンジンと2L、直4ディーゼルターボを追加。1.8Lは142万1000円から購入でき、フルタイム4WDでも200万円を切る179万6000円と買い得感が高い価格設定(追加された1991年6月時点)だったため、初代RVRの販売に大きく貢献した。
駆動方式はFFとフルタイム4WDで、トランスミッションは4ATだけでなく5MTが設定されていた。5MTの設定は当時としては珍しいことではなく、遊びに使うクルマながら5MT搭載モデルも根強い人気となっていた。
サスペンションはフロントがストラット、リアがセミトレーリングアームという当時の三菱車で珍しい組み合わせだったが、リアのセミトレ採用は走りと荷室広さを両立させるための採用だったという。
ランエボのエンジンを移植
初代RVRで外せないのはスポーツモデル。1992年10月に全幅1740mmのワイドボディを採用し、ノーマルの140psから160psにパワーアップさせたスポーツギアを登場させた。このスポーツギアはより速く、スポーティさを求めるユーザーから支持されて一気に人気グレードとなった。
そして1994年9月にはスポーツギアよりもハイパワーなスーパースポーツギアを追加。なんとランサーエボリューションの4G63型ターボをディチューンして搭載。初代RVR初のターボモデルでスペックは220ps/30.5kgmと一見控えめのようだが、ジャジャ馬ぶり(元気という意味)は当時では有名だった。
ここで終わらないのが凄いのだが、三菱はハイパワー化の手を緩めず1997年1月にはハイパースポーツギアを投入。2L、4G63ターボは250ps/31.5kgmにパワー&トルクアップ。RVの常識を超えたスポーツモデルの衝撃は大きかった。スーパー→ハイパーと進化させるあたりは三菱のイケイケ感が出ている。ハイパースポーツギアはRV界のランエボの異名をとった。
実際に2Lクラスのスポーティカーを簡単にカモれるほどのポテンシャルがあり、異色ながら足回り、ボディを補強したハイパースポーツギアでサーキット走行する人もいたほど。ランエボは5MTしかなかったので、ATでハイパワーを堪能したい人から絶大に支持されていた。ただ泣きどころはATで、4G63のパワー、トルクに対し充分な耐性がなく、トラブルはよく耳にした。自動車雑誌『ベストカー』の姉妹誌に『FENEK(フェネック)』というアウトドアとRVを絡めた雑誌があったのだが、その編集部の社用車としてスーパースポーツギアを使っていたのだが、ATのトラブルは少なくなかった。
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