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王妃のシャンパン風呂

1789年に、飢えた民衆が宮殿に押しかけ、なかには衣服が買えずに裸のままの男女も少なくなかったというが、口々に、

「パンをくれ! ひと切れでいいからパンをくれ!」

と泣き叫んだとき、宮殿のバルコンにマリー・アントワネットが現れて、

「パンがなければお菓子をお食べ!」

と叫び返したといわれる。この瞬間にフランス革命はのっぴきならないものになってしまった。

マリー・アントワネットの浪費の最高は、やはりかの有名なシャンペン風呂につきるようである。

これは1485年に、画家サンドロ・ボッティチェリがメディチ家のために描いた名画《ヴィーナスの誕生》の、一糸まとわぬヴィーナスが立っている大きな貝をそっくり真似た浴槽を作らせて、それを黄金の台座の上にすえ、1000本の特上のシャンペンで浴槽を満たしたのである。極上の、発泡性ではない、たとえばドン・ペリニヨンあたりを1000本である。

美女マリー・アントワネットが浴槽に沈むと、大理石の貝のまわりからあふれたシャンペンを取り巻き連中がグラスで受けて、口々に彼女の美と健康を称えて乾杯、また乾杯というのだから途方もない話である。

こうした浪費に対しても、16世はニコニコしているだけだった。

やがて革命人民政府によってマリー・アントワネットも断頭台の露と消えるのだが、16世のほうが先に処刑されている。

国王は先の注文の品々を胃袋におさめると、しばらく昼寝をされた。迎えがきて、今日は特別冷え込んでいると聞いて、恐怖に青ざめていると思われては心外だからとシャツを余分に一枚所望され、牢からギロチン台へと出発した。

最後の最後までルイ16世は食事をおろそかにはできなかった食いしん坊であった。ベルサイユ宮殿の崩壊によって400人近い宮廷料理人は職を失い、生計を求めてパリを中心に料理店をはじめる者が続出した。革命がレストランの始まりになったともいえるのである。

(本文は、昭和58年4月12日刊『美食・大食家びっくり事典』からの抜粋です)

『美食・大食家びっくり事典』夏坂健(講談社)

夏坂健

1934年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。その百科事典的ウンチクの広さと深さは通信社の特派員時代に培われたもの。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。

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